ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ『トリとロキタ』をめぐって
血よりも濃い黒の物語 今、一人好きな映画作家をあげるなら、と言われたらダルデンヌ兄弟と即答する。今もっとも信用できる映画作家のひとり、今もっとも注目すべき映画作家のひとり、と言い換えてもいい。ベルギーが生んだ至宝ダルデン...
血よりも濃い黒の物語 今、一人好きな映画作家をあげるなら、と言われたらダルデンヌ兄弟と即答する。今もっとも信用できる映画作家のひとり、今もっとも注目すべき映画作家のひとり、と言い換えてもいい。ベルギーが生んだ至宝ダルデン...
カウリスマキが前作『希望のかなた』の後 そういえば、引退宣言をしていたな、というか そんなことをすっかり忘れていたことに気づいた。 長年カウリスマキとその映画を愛してきた人間からすると ずっと身近にいる存在でもあり、 何度でも繰り返し過去の作品をあれやこれやと見ているからか、 引退、という言葉がにわかに信じ難く、 どうせ、そのうち戻ってくるだろうぐらいに思っていたのだ。 そこからの見事な復帰作『枯れ葉』でのヒット。 なんだか自分ごとのように嬉しくなってくる。 しかし、これまたカウリスマキらしい憎い“演出”にも思えてくるが、 さて、どうだろう?
コロナ禍においては、色々な制限が課されていたこともあり、 映画館へ足を運ぶ機会も意欲も、ずいぶん減ってはいたが、 最近では、気分的にも大きなスクリーンで集中してみる映画体験を 積極的に回帰している自分がいる。 とはいえ、映画を見たい、手軽に見たいという欲望が無くならないが故に、 ストリーミングに頼るという生活もまた、なくなる事はない。 作品を何度も見直すことができるし、 どこでもかからないような、貴重な作品さえも手が届く。 何より、映画を愛するものにとって有難いまでの仕組みが多く提供されている。 いずれにせよ、1本の映画作品の価値は、 形態や見方を変えても変わるわけではない。 その本質を見落としてしまえば、単なる時間の消費に過ぎなくってしまう。
有名建築家によるトイレプロジェクトの一環として製作された 日独合作の映画『PERFECT DAYS』、バックはTOTOとUNIQLO。 舞台は日本、東京。 日本映画と言っても差し支えがない。 主役は役所広司、カンヌで主演男優賞を受賞している。 監督はあのヴィム・ヴェンダース。
カルトの帝王こと、デヴィッド・リンチが亡くなって、 日に日にその喪失感を募らせている。 その作品を通して、いろいろリンチに思いをはせてはいるのだが、 あらためて、その作品の持つ奥行きの沼にはまってしまった人間なら だれもがその頭の中の一度は覗いてみたくなる、 そんな魅力的なアーティストの死に、 この一つの時代の終わりを、ここに、静かにみつめてみようと思う。
その日、僕は雨の降る京都の街に降り立ち、 二条城を舞台にしたアンゼルム・キーファー展『ソラリス』へと向かった。 それは単なる美術展を超える、一つの事件のようなものだという直感があったが、 果たして、どんなものなのか、あらかじめ情報などほぼないままに足を運んだ。 場はまさに、時空を超えて響く「詩的な修復儀式」を呼び覚まし、 歴史の焦土に立ち尽くす者のための沈黙のレクイエムとして、 まるで、歴史の裂け目を埋め合わせるかのような巨大な作品が 谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を思い出すまでもなく、 重く陰影を帯びながら、奥ゆかしいまでに場に佇んでいた。
まさに、“キングオブシュール”こと、奇抜な行動と言動で知られる画家ダリ。 フランスパンやウニを頭に乗っけあの、水飴で固めたとして 常に“10時10分”を指していたという、あのトレードマークの口ヒゲをたくわえ、 その自己顕示欲に満ちた数々のパフォーマンスで 20世紀美術界を風靡したスーパースターダリ。 もはや、つまらぬ説明など不要であろう。 シュルレアリスムという運動の主要な概念は、 おおよそ、このダリ一人でも十分完結するほどに 圧倒的な力を有した存在であることは疑う余地がない。
年甲斐もなく、ホラー漫画にときめくだなんて。。。 いやはや、もはや、年齢など関係はないのだ。 とはいえ、正直に告白すれば、それは楳図かずお以来の衝撃だった。 古い記憶をアップデートできずにいた長年の思いが そこで一気に刷新されたのだ。 世田谷文学館で開催された漫画家伊藤潤二展『誘惑』に足を踏み入れたとき、 ぼくは既視感と微かな違和感に満ちた空間に包まれていたことを告白する。
本展アーティゾン美術館での「ブランクーシ 本質を象る」展は、 20世紀彫刻の夜明けを告げたコンスタンティン・ブランクーシへの、 形而上の詩にして、肉体から解き放たれた彫刻世界の核心へと 観る者を静かに誘う一つの契機だったと言える。 なにぶん、自分にとっては、ブランクーシの作品に 直に触れる初めての体験であり、 というのも、日本の美術館で初となるブランクーシ展であり 1907年に制作された、石の直彫り作品から石膏で作られた代表作《接吻》 抽象化の局地を代表する《空間の鳥》まで、 初期から円熟の1920年代の作品が集結する貴重な展示を見ることができた。
そんなことで、スペインが産んだ抽象絵画の巨匠ミロを 美術の観点から、言葉を重ねてゆく作業に限界を感じながら ある種、ミロ絵画の音楽性に甘えて、あえてぼくは言葉から逃げた。 シュルレアリスムという運動の喧騒を縫って、 ひたすら自由への道を主張し続けたミロ。 彼は絵は、生きる歓びに満ちている。 だが、ときに、キャンバスを焼くほどに熱を帯びた。 戦争への憎しみ、資本主義、物質主義への反抗。 その本質こそがミロなのである。
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