つぐ minä perhonen | 世田谷美術館アート・デザイン・写真

「つぐ minä perhonen」展を訪れて

そんな思いを抱えながら、冬枯れの硯公園を抜けた世田谷美術館で 創設30周年を記念しての開催中の「つぐ minä perhonen」展へと足を運んだ。 ミナペルホネンは、北欧、とりわけフィンランドの空気をまとい ミナとは「私」を、ペルホネンとは「蝶々」を意味する ファッション・テキスタイルブランドである。 ここ、日本を拠点に、ひとつの職人文化を継承する、 そんな生産チームを形成している。 実はこのことが、生み出された生産物共々、興味深く そのブランドの魅力にもなっているのだと思う。

『東京ゴッドファーザーズ』2003 今敏アート・デザイン・写真

今敏『東京ゴッドファーザーズ』をめぐって

今日はクリスマス。 ということで、クリスマスにちなんだ映画を取り上げようと思う。 クリスマスのちなんだストーリーは、古今東西、 バラエティに富んではいるのだが、 個人的な一押しでいえば、 少し前のビリー・ワイルダーによる名作コメディ、 ジャック・レモン主演の『アパートの鍵貸します』か ハーヴェイ・カイテル主演、ウェイン・ワンの『スモーク』あたりがズバリなのだが、 ちょっと渋いところで、ジョン・フォード、ジョン・ウェイン主演の 『三人の名付け親』といきたいところだが、 今回取り上げるのはそのクリスマス西部劇から着想を得たという、 今敏による『東京ゴッドファーザーズ』というアニメだ。 この作品は映画という名のアニメであると同時に 単なるアニメ以上に見どころ満載の映画でもある。 実に興味深い現代的な視点がいくつも投与されているが、 シリアスすぎるでもなく、 かといって、コミカルなその場主義的な 単純な物語に収斂しない“心に残る”作品として、語りたい魅力がある。

『北陸代理戦争』1977 深作欣二映画・俳優

深作欣二『北陸代理戦争』をめぐって

両親共々、富山県人で、 僕自身、小さい頃から北陸には何かと縁があり 新幹線よりもなにより“雷鳥(現サンダーバード)”によく乗った記憶が先立ち、 あの北陸なまり、独特の富山弁にも随分愛着があって それらの印象が今なお皮膚感覚でしみこんでいる。 いうなれば、ルーツともいえる地、それが北陸だ。 だが、越中強盗、加賀乞食、越前詐欺師。 これが俗に言う北陸人の気質らしい。 そんな物騒なことは、これまで微塵も感じたことはなかったが、 深作欣二の『北陸代理戦争』での幕切れとともに流れる 「共通しているのは生きるためにはなりふり構わず、手段を選ばぬ特有のしぶとさである」というナレーションに聞こえてくるように、 そういうところがあるのかもしれない。 そのあたりの考察をふまえて、映画を語ってみよう。

Ernst Haas「La Suerte de Capa, Pamplona, Spain 1956」アート・デザイン・写真

エルンスト・ハースという写真家について

最近、自分が撮りだめたスナップ写真を整理して 一冊の本「On the road」としてまとめた。 あるとき、偶然別の写真家の作品にふれたとき その触感がなぜか驚くほど似ているかもしれない、と思えたのだ。 それがエルンスト・ハースとの出会いである。 ハースは写真家でありながらも、 その写真が美術の領域にまで通底していることもあり そのスタンスに重なる視点を見いだすには、さして時間はかからなかった。 実際、抽象画と呼んでも良いような写真がいくつもある。 日頃僕自身が取り組んでいる作品に類似するものも随分見られた。 ただ、それまで、ハースという名前ぐらいしか知らず 存在が長い間漏れており、 当然、意識することも、影響すらも受けずきたことが なんとも不思議な気がするくらい、じつに奇妙な親近感を覚えるのだ。

座頭市 1989 勝新太郎映画・俳優

勝新太郎『座頭市』をめぐって

勝新太郎が1989年に撮った『座頭市』。 文字通りのラスト座頭市であり、 73年、自身の勝プロで『新座頭市物語 笠間の血祭り』を撮って以来 十六年ぶりに完全復活を果たし、 勝新が最後にメガフォンをとった作品としてシリーズ最終作であると同時に、 のちに訪れる破滅と影を予告する、 奇妙に澄んだ悲劇性をも帯び、いろんな意味で呪われた映画だ。

ロゼッタ 1999 ダルデンヌ兄弟未分類

リュック&ジャン=ピエール・ダルデンヌ『ロゼッタ』をめぐって

ダルテンヌ兄弟による映画『ロゼッタ』の主人公ロゼッタが 最後に嗚咽する涙に、少し救われた思いがするのは そうした事情映画からなのかもしれない。 人間らしさ、とでもいうのだろうか。 アル中で生活難、しかも、セックス依存で 身体を売るしか能の無い未来がない母親との生活の中で ただ、普通に暮らしたいという思いから、 必死に仕事を求めて、格闘する姿を一方的に見せてゆくロゼッタ。 映画は、この孤立無援の娘への憐憫を募らせはするが、 一方で、優しく寄りそうおうと手をさしのべてくれる天使 リケでさえも邪険にされるのだから、やれやれ 困ったものである。

「少年」 1969 大島渚映画・俳優

大島渚『少年』をめぐって

よさこい節のフレーズにも入っている、高知のはりまや橋で ひとりの少年が行き交う車を見定め、身体を張ろうとしている。 ドライブレコーダー搭載の自動車が当たり前の現代社会に かつては当たり屋なんていうベタな稼業が横行していたのだと いまの若い人たちは知らないかもしれない。 いうなれば、詐欺である。 いちゃもんをつけ、カネをせびる。 かつて、反社なひとたちがよくやっていた手口だが それを家族をあげてやっていたという実話を映画化した作品で、 大島作品の中でもぼくが好きな一本『少年』である。

霧の中の風景 1988 テオ・アンゲロプロス映画・俳優

テオ・アンゲロプロス『霧の中の風景』をめぐって

霧が降りた朝、何も見えない世界から、 その小さな足で踏み出す異母姉弟ヴーラとアレクサンドロス。 父を探すと言って祖国ギリシャから ドイツへと向かう列車へ無賃で乗り込み、最初の一歩に抱き合う。 だがおそらく、観客は最初から気づいているにちがいない。 彼らが探しているものは、実在しないかもしれないのだと。 あるいは、最初からそれは存在しなかったのかもしれないのだと。 まるで霧の中に見えない“神話の国”を求めるようにして ひたすら歩き続けるしかない姉弟の過酷なロードムービーの始まりである。

《室内──開いた扉、ストランゲーゼ30番地》ヴィルヘルム・ハマスホイアート・デザイン・写真

ヴィルヘルム・ハマスホイをめぐって

北欧のフェルメールなどと、なんとも安易な形容が付いてはいるが その絵を見つめていると、あながち、的外れでもないなと思えてくる。 デンマークの画家ヴィルヘルム・ハマスホイの室内画に惹かれている。 その静謐さ、ミニマリズムはもちろん その内向性ゆえの思いを秘めた気配に、 なにか、そそられるものがあるからだろうか?