ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.35 日本のソコヂカラを託して 映画特集
最近の映画を見ていると、構造が複雑なものが増えたように思う。 ストレートでシンプルなものは少ない。 テーマも多岐にわたり、それによって時代を意識せざるを得ない感覚に捉われる。 かつて、あるいは過去にとらわれてばかりもいられないが、 良き日本のことを忘れたくもない。 この流動的で、変化に富む現代において、 時代を照らし出す映画というものを通して いまいちど、日本人の誇り、そして素晴らしさを再確認したい、それだけだ。
最近の映画を見ていると、構造が複雑なものが増えたように思う。 ストレートでシンプルなものは少ない。 テーマも多岐にわたり、それによって時代を意識せざるを得ない感覚に捉われる。 かつて、あるいは過去にとらわれてばかりもいられないが、 良き日本のことを忘れたくもない。 この流動的で、変化に富む現代において、 時代を照らし出す映画というものを通して いまいちど、日本人の誇り、そして素晴らしさを再確認したい、それだけだ。
そんな増村の最高傑作は、はて、何だろう? ふとそんなことを考えてみたが、優劣をつけるには思い入れが邪魔をする。 よって最高傑作うんぬんはこの際どうでもよい。 ここではまず、紛れもない傑作 近松の名作の映画化「曾根崎心中」を取り上げてみたい。
この『バージンブルース』は こうしたバージンか非バージンかわからないような年頃の、 ちょっと素行のよろしくない女の子たちを主人公に据えた さすらいのロードムービーかと思いきや、 実は、これはたわいもない中年男のロマン、 いってみれば、妄想によって男の哀愁を掻き立てる そんな作品になっているのはざっと紹介した通り。 それを演じる中年男、平田自身が いたって「バージン脳」のダメ男であり、 困ったちゃんと結びついてしまうところが 同じ男としてはなんとも微笑ましいのである。
『白いリボン』『Amour』と 続けざまにパルムドールを受賞した実力者にもかかわらず、 それまであまり評判のよろしくなかった、 というと語弊があるが、 賛否両論の激しかったオーストリアの映画作家ミヒャエル・ハネケによる 『Amour (原題:愛、アムール)』には そのような前振りなど、何の意味も持たないほど、 久々にしばらく動けないほど、しびれのような感銘を受けてしまった。
クロード・ルルーシュの代表作にて名作『男と女』の その続編の続編いわば53年(33年)後の二人の再会ドラマである 『男と女 人生最良の日々』について書いてみよう。 いやあ、言葉にならないなあ、と思う。 余韻が広がり、それにまたため息が出るほどだ。 これを幸福の現象と言わずしてなんと言うべきか。 演技をこえて、二人の人生が映画空間で重ね合わさった 晩年の男と女の再会劇の感動は簡単に言葉では言い尽くせないのだ。
男と女の恋模様、というと、そのタイトルからも この映画に触れぬわけにはいきませんね。 あの大人の恋愛映画の決定版、といえば クロード・ルルーシュの『男と女』について書かぬわけにはいきません。 ピエール・バルー&ニコラ・クロワジーユのあの歌 ダバダバダ、ダバダバダで有名なあれ。 改めて言うまでもない、あの映画のことです。
恋愛とは必ずしも甘美なことばかりではない・・・ なにを当たり前のことをいうのだ、と思うかもしれないが 恋の代償は、なまじ心の痛みを伴うが故に他人にはわからない。 当人にとっては、すこぶる深刻な問題なのだ。 それが究極にまでいきつくと、死まで突っ走ってしまうこともある。 愛を軽んじてはいけない。 フランソワ・トリュフォー『隣の女』はそんな映画の一本である。 とはいえ、ただのつまらない不倫話という、 ある種、下世話なジャンルになりさがることもなく、 恋愛の美しさとむごたらしさの境界を 粛々と描いてみせるトリュフォーの手腕により、 いい映画だった、と口にするのも躊躇うほど 怖ろしい結末へと導かれてゆく。
おしゃれな恋愛映画は何?って聞かれたら まず、このウォン・カーウァイの『恋する惑星』を挙げる。 『欲望の翼』と共に、日本でも人気にある代表作の一本だ。 ぼくはこれを二十代に見て、とても感銘を受けたし いまだに、ドキドキしながら見返す口だけど、 今時の若者ならどうみるのかは興味深い。 ポケベルや黒電話、音楽の再生がCDってところに、 時代感覚が刻印されているように、 所々は90年代文化の匂いはするものの、 別段、今見ても古臭さというものを感じたりはしない。
愛のない性交渉で感染するというSTBOの脅威に晒されるパリに ランボーの『地獄の季節』の詩編からとった二作目、 とりわけ『汚れた血』の印象がカラックス像を決定づけた。 カラックスの分身たるドニ・ラヴァンの風貌、 その存在感は圧倒的に異質なものに映った。 面構えからして只者ではないのだ。 (確か来日時には「笑っていいとも!」にも出演していたっけ) あの注目を浴びたデヴィッド・ボウイの「モダンラブ」をバックに ワンカットで疾走するシーンに、 こちらも青春を重ねて合わせてみた記憶がある。 だれしもあんなふうにまっすぐ思いのまま突っ走りたいのだと。
その上で、この映画における森雅之のグズグズ感、 仲代達矢の小生意気なニヒルっぷり 頑張って生きる女たちの周辺を巡って 男たちは絶えず甘い汁を吸おうと集まってくる。 女は人生に翻弄されながらもたくましく生きてゆく。 こうした一つ一つが積み重なって奇跡のように 上質で無駄のない日本映画の黄金時代を証明する作品に仕上がっている。