映画・俳優

欲望の曖昧な対象 1977 ルイス・ブニュエル映画・俳優

ルイス・ブニュエル「欲望の曖昧な対象」をめぐって

物事が成就する事を、唐突に中断させるのはお手の物、 簡単にできるであろうことができなくなる可笑しさ。 蛇の生殺しのような寸止め状態、 そんなシチュエーションを意地悪く愉しみながら 観るものを不安にさせるような演出がお好きなようで、 『皆殺しの天使』では部屋から出られなくなったり 『昇天峠』ではバスがなかなか目的地につかなかったり 『ブルジョワジーの密やかな愉しみ』ではなぜか食事にありつけなかったり、 そしてこの遺作にて傑作たる『欲望の曖昧な対象』では、 目の前の女をついぞモノにできず 性に翻弄されてしまうという展開に、やきもきさせられる。 それにしてもブニュエルという人は真面目にふざけるひとである。

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.39 終活への旅路、遺作映画特集映画・俳優

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.39 終活への旅路、遺作映画特集

最近では、若い人たちの訃報もちょこちょこ耳に入ってくるし 年齢はこの際関係ないのかもしれないが、 「霊界通信」のスヴェーデンボリのように、あの世と通底でもして 自分の死に際がいつなのかを事前に知っていればいいのだが、 かくいう僕自身も、あとどのくらいこの世の地を踏めるのだろう、 そんなことをよぎる年齢になってきた。 ある程度は覚悟というか、 準備というか、日々そんな思いを静かに抱えながら しっかり芽生え出している自らの人生の枝先をじっと見つめているのだ。

日曜日が待ち遠しい! 1983 フランソワ・トリュフォー映画・俳優

フランソワ・トリュフォー『日曜日が待ち遠しい! 』をめぐって

あのヒッチコックも鼻で笑うような もったいぶった出だしを書き連ねたのは 今夜トリュフォーの『日曜日が待ち遠しい!』を観たからだ。 フィルム・ノワール、つまりは犯罪映画でもあり 同時に軽妙なコメディタッチで描かれた、 ファニー・アルダンとジャン=ルイ・トランティニアンの なんとも渋い大人の恋の物語でもある。 ジョルジュ・ドルリューのスコアに乗って オープニングから、こちらは犬が絡んで 路上を小気味好く闊歩するアルダンが素敵すぎる。 これってタチ讃歌?とでもいうべく、牧歌的な始まりに胸がときめく。

DIVA 1981 ジャン=ジャック・ベネックス映画・俳優

ジャン=ジャック・ベネックス『Diva』をめぐって

フランス映画=おしゃれ、 巷ではいまだにそんな単純な公式が横行している。 ベレー帽絵をかぶる人=手塚治虫だったり、 訳のわからない絵を描く=ピカソ、 黒人なら=運動神経抜群であるはずだ、などと同じく、 そんなステレオタイプの思い込み、先入観に裏付けされるまでもなく、 ジャン=ジャック・ベネックスの映画『Diva(ディーバ)』には 確かに、モード誌的世界観を再構築するかのような、 当時のモード観を刺激するだけの要素に満ちた ポップカルチャー満載のモダンな視覚映画といえるのではないだろうか。

『去年マリエンバートで』 1961 アラン・レネ文学・作家・本

アラン・レネ『去年マリエンバートで』をめぐって

監督は『ヒロシマモナムール』のアラン・レネ。 キャメラはその時と同じ、サシャ・ヴェルニ。 脚本はヌーヴォーロマンの旗手アラン・ロブ=グリエ。 監督と脚本家、この二人のアランは いみじくもともに38にして出会い、 アンチロマン、アンチシネマの共犯関係を結ぶことになる。 映画史に一石を投じた作品として 色褪せぬ記憶のなかにとどまり続けるだろう。 またしても、永遠に眼差しに安らぎなど訪れぬ迷宮のなかで ただならぬひとときの夢を観るのだった。

『雨の訪問者』1970 ルネ・クレマン映画・俳優

ルネ・クレマン『雨の訪問者』をめぐって

雨の日におすすめする映画、というわけではないけれど、 タイトルにもあるように、雨が印象的なルネ・クレマン『雨の訪問者』。 ルネ・クレマンといえば、『禁じられた遊び』しか知らない人や わかりやすいストーリーに見慣れている人なら ちょっとそのタッチが新鮮に映るかもしれない。 ただ映画としての出来はそれほどでもないかな。 いわゆるいいなと思う派とつまらない派が半々になるタイプだけど これぞフランス的で、ハリウッド映画にはない 細部にまでちょっとこだわりのある画風を作る映画作家 そこはルネ・クレマンの真骨頂だ。

北の橋 1981 ジャック・リヴェット映画・俳優

ジャック・リヴェット『北の橋』をめぐって

その意味ではリヴェットによる『北の橋』は、かつて74年に撮られた傑作 『セリーヌとジュリーは舟でゆく』からの続編、 とはいわないまでも、ファンタジー性やその虚構空間においては 内容は違えど、どこか地続きの映画構造のように映るだろう。 いずれにせよ、物語に容易に収斂されえない展開ながら 本能的な自由を求める奔放さでもって 観るモノを魅了してゆくリヴェットらしい即興性に満ちた 遊び心満載の、謎解き冒険譚であることは間違いない。

危険なプロット 2013 フランソワ・オゾン映画・俳優

フランソワ・オゾン『危険なプロット』をめぐって

クライマックスは、というと「情事」の矛先、 つまりは「危険なプロット」の方向性が大いにズラされてゆく。 今度は教師ジェルマンの妻ジャンヌへと向かう。 このあたりの「プロット」展開は見事だな。 こうなると今度はジェルマンが嫉妬にかられるわけだ。 あげくには学校はテスト漏洩問題が明るみに出て職はクビになるし 妻には愛想を尽かされる羽目になってしまうというってな話だが、 原題『Dans la maison』から邦題の『危険なプロット』、 内容から見ればこの邦題の方が的確に要点を突いている。

Ascenseur Pour L'Échafaud 1958 Luis Malle映画・俳優

ルイ・マル『死刑台のエレベーター』をめぐって

夜更けに、眠れなくなるやもしれぬ熱いコーヒーを口にしながら ふとマイルス・デイヴィスのアルバムを聴いていると 夜がいつになく身近なものに感じられる。 いつもなら、この時間『Kind of Blue』あたりをお供に 静かに悦に入っているところだが、 今日はいつもと違う刺激とばかり、別のアルバムに手を伸ばしてみる。 ジャンヌ・モローがジャケットを飾るのは ルイ・マルによる『死刑台のエレベーター』のサントラである。

恐怖の報酬 1952 アンリ=ジョルジュ・クルーゾー映画・俳優

アンリ=ジョルジュ・クルーゾー 『恐怖の報酬』をめぐって

このクルーゾー版に感銘を受けてリメイクされたのが フリードキンによる1978年度リメイク版だが、 今回まず、元祖『恐怖の報酬』のほうについて言及したのは 幻の傑作、フリードキンの最高傑作と誉れ高いリメイク版に触れる前に その踏み台と言ってしまうにはあまりにもったいなく 元をきちんと見直して正しい認識をもっておきたかったまでである。 ニトログリセリンの運搬に命をかける男たちの悲哀は いずれにもストーリー上共通の柱ではあるが、 やはり、恐怖へのアプローチが時代を越え、 国境を越えればこうも違うものかと 映画ならではの醍醐味を考え直させられるに至るのである。