映画・俳優

陽炎座 1981 鈴木清順文学・作家・本

鈴木清順『陽炎座』を視る

時は大正、1926年の東京。 鈴木清順による『陽炎座』の世界に、一度踏み込むと そうやすやすと抜けられそうもない。 まさに、映画六道めぐり、 その夢なる景色が、単にまどろみにとどまらず まるで白昼、真夏の地面に揺れる蜃気楼のように、 こちらの意識をからかい、惑わせ、弄んだかと思うと、 甘美に絡み合っては、いつしかまた儚くすり抜けていく。 登場人物たちはまさに、生きては死に、死んでも生き続けるような そんな妖うさのなかを行き来戻りつする住人たちばかり。 劇中、大楠道代演じる玉脇の妻品子の言葉に 「夢というのはなぜ覚めるのでしょう? 一生覚めなければ、夢は夢でなくなるのに」とあるが、 まさに、このセリフがこの映画の核になっている。 そう、冒頭に引用したこの品子が劇中懐紙にしたためた、 小野小町の歌そのものではないか。

審判 1963 オーソン・ウェルズ文学・作家・本

オーソン・ウェルズ『審判』を視る

カフカの『審判』は、ただの悲劇ではない。 それは元より、「自分の手には負えない運命」を前にして、 人がどれだけ可笑しく、そして惨めに振る舞えるか ウェルズは、その本質を見抜き、 一層鋭い「笑い」の棘を与えてみごとに映画化したのである。 勝負はついた。 ただし、可もなく不可もなく、というところだ。

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.42 スクリーンのなかの文学。視覚のアバンチュール。文学・作家・本

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.42 スクリーンのなかの文学、視覚のアバンチュール。

昔に比べて読書量が減っているのは間違いない。 本が好きで、文学が好きで、なにより活字大好き人間ではあるのだが、 そのインプットにかける時間がたりないと自覚する。 モノとしての本そのものへの関心が薄らいでおり、 本を買うことも滅多になくなっていることもある。 とはいえ、ネットに転がるテキストに目を通し、 こうしたブログにしろ、記事を書く機会もあるし、その意欲もちゃんとある。 こうした矛盾をかかえつつ、老後は、気長に読書三昧で、 といかないところに、情報社会、多様なメディアに囲まれる現代のジレンマがあるのだと思う今日この頃である。

『マルグリット・デュラスのアガタ』1981 マルグリット・デュラス映画・俳優

マルグリット・デュラス『マルグリット・デュラスのアガタ』を視る

この声はデュラス自身のものである。 映像にあるのは、そのフィルムにある身体性、 つまりは言葉に託された愛だけである。 ブラームスのピアノ曲を伴って妹、ビュル・オジエが、そこにいる。 そして、もうひとり、兄であるデュラスの恋人ヤン・アンドレア。 そこにいるのはこの二人しかいない。 何一つ発しない登場人物に全てを託せてしまうのだ。 これは映画だろうか? 文学なのだろうか? なんという共犯関係なのだろうか? テクストの快楽、映画の快楽との共鳴がそこにはある。 確かにある。

関心領域 2023 ジョナサン・グレイザー映画・俳優

ジョナサン・グレイザー『関心領域』をめぐって

ジョナサン・グレイザー監督による映画『関心領域』は、 アウシュヴィッツ強制収容所の隣に暮らすナチス高官一家の“日常”を描くという、 一見しただけではそのショッキングさよりも、静かな作品としての印象が先にある。 しかし、その沈黙のなかには、叫びよりも激しい告発がひそんでいる。 映画史上、最も過酷な問いを最も平静なかたちで突きつけた本作は、 単なる過去への凝視ではなく、現代における無関心の構造を解き明かす寓話として 読まれうるべき作品として、強烈なメッセージを発している。

夜明けのすべて 2023 三宅唱映画・俳優

三宅唱『夜明けのすべて』をめぐって

原作は未読だが、瀬尾まいこ『夜明けのすべて』、小説の映画化である。 NHKの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」で夫婦を演じた二人、 松村北斗と上白石萌音による主人公の男女山添孝俊と藤沢美紗は、 それぞれパニック障害とPMS(月経前症候群)を抱えている。 内容は、心の奥底に秘めた「生きづらさ」とどう向き合うか、 対人との向き合い方や、コミュニケーションのとり方についての 深い考察映画とも言えるだろうか。 そんな二人が、とある職場で出会い、絡んで、 いったいどんな物語が語られるというのか?というと そこにとくに事件性のようなものもなく、 定番の恋愛絡みのストーリー、というわけでもない。 お互い感情におぼれることなく、かといって、 よそよそしくならず、ぎこちなさを避けるように、 その境界線を、うまく練り歩きながら描いている点に共感を覚える映画だった。

哀れなるものたち 2024 ヨルゴス・ランティモス映画・俳優

ヨルゴス・ランティモス『哀れなるものたち』をめぐって

エマ・ストーンが演じるベラ・バクスターは、 死体の身体に胎児の脳を移植された再構成された、 いうなれば人の形を残した怪物だ。 その設定だけを見れば、ネオフランケンシュタイン的な話だが、 本作が行き着く先は単なるホラーでもSFでもなく、 むしろ、快楽、自由、知、そして他者との関係性を通して、 自己が自己であるための条件を問いなおす"存在論的ラブストーリーを生き 目覚めたひとりの女性の物語である

正欲 2023 岸善幸映画・俳優

岸善幸『正欲』をめぐって

原作朝井リョウによる岸善幸の映画『正欲』では 5人の登場人物が「なにをもって正解とすべきか」「マイノリティとは何か?」 といういかにも現代社会が抱える問いをめぐって 複数の視点が静かに交差する群像劇を描いた映画になっている。 ここには声高に何かを訴えたり、観客の感情を煽るような派手な演出はなく、 それなのに、観終わったあとには、胸の奥に何かがずっと残る。 何が正しくて、何が間違っているのか? その問いを、言葉ではなく映像と沈黙で投げかけてくる。

宮松と山下 2022 五月(関友太郎、 平瀬謙太朗、 佐藤雅彦)映画・俳優

5月『宮松と山下』をめぐって

短くなれば、その分余計なものは削ぎ落とさねばならない。 その意味で、映画『宮松と山下』は見事なまでにセリフが少ない。 よって、85分というのは出色の長さゆえ、安心できる。 それだけで見たくなってくるというものだ。 もちろん、それは単に後付けの口実にすぎないのだが、 その分、実際、この映画にはなにかとそそられるところが多い。 まず、説明的な映画ではなく、過剰なシーンも無い。 そして、示唆的であるということだ。