文学・作家・本

『去年マリエンバートで』 1961 アラン・レネ文学・作家・本

アラン・レネ『去年マリエンバートで』をめぐって

監督は『ヒロシマモナムール』のアラン・レネ。 キャメラはその時と同じ、サシャ・ヴェルニ。 脚本はヌーヴォーロマンの旗手アラン・ロブ=グリエ。 監督と脚本家、この二人のアランは いみじくもともに38にして出会い、 アンチロマン、アンチシネマの共犯関係を結ぶことになる。 映画史に一石を投じた作品として 色褪せぬ記憶のなかにとどまり続けるだろう。 またしても、永遠に眼差しに安らぎなど訪れぬ迷宮のなかで ただならぬひとときの夢を観るのだった。

四畳半襖の裏張り 1973 神代辰巳文学・作家・本

神代辰巳『四畳半襖の裏張り』をめぐって

春本風味を下敷きにしつつも、神代辰巳が 日活ロマンポルノの枠内でうまく撮り上げたこの作品、 そこに男と女の睦み事があっても、それだけじゃない。 観ればわかるが、猥雑とは似て非なる風情、情緒が漂うのだ。 本編は荷風の得意とした「入れ子細工」をとり、 旦那と芸者との“粋な”遊びを中心に 軍人と芸者との哀しき逢瀬、 老練と若い芸者の芸道をめぐるやりとりなどが 1時間強のなかに色とりどり詰め込まれている。

ある男 2022 石川慶文学・作家・本

石川慶『ある男』をめぐって

石川慶による『ある男』という映画がある。 原作平野啓一郎による文芸作品実写版だ。 こちら原作は未読ゆえ、その比較は出来ないが、 社会問題をも持ち込んだ硬質なテーマを 洗練された語り口で見せるに長けた映画で、かなり心を掴まれてしまった。 精鋭の俳優たちの演技も文句のつけようもない。 ここでは窪田正孝演じる谷口大祐ことXの存在感が目を惹く。

土を喰らう十二ヵ月 2022 中江裕司文学・作家・本

中江裕司『土を喰らう十二ヵ月』をめぐって

水上勉の『土を喰らう日々』というエッセイがベースである。 そのエッセイは、若き水上が禅寺で覚えた精進料理を紹介していて 単なる料理本というわけではない。 その想いはおそらくは中江裕司にもあり、 脚本はむしろオリジナルに仕上がっている点でユニークである。 水上勉という作家を特に意識したことはなかったが、 少年期に禅寺で修行体験を元にした川島雄三『雁の寺』を初め、 吉村公三郎『越前竹人形』、はたまた内田吐夢『飢餓海峡』などで多少は触れている。 この作家の食を通したどこか仏教的な生き様に、共感できる自分がいる。 食がテーマとはいえ、これはある種、人生訓でもあるからだ。

他人の顔 1964 勅使河原宏文学・作家・本

勅使河原宏『他人の顔』をめぐって

文学と映画というのは、基本、似て非なるものであるが 映像化されても、その中身が害われず むしろ、視覚的な魅力が加味されて新たなる傑作然として 今なお記憶に刻み付けられているのが『砂の女』であったが、 その作品を映画化した勅使河原宏によって またしてもこの『他人の顔』も原作の妙味を残しつつも、 映像言語としての面白さを引き出し、 新たな発見を見せてくれた作品として、忘れがたい記憶を刻んでいる。 いずれも安部公房の小説があらかじめ映像を意識して書かれたように思えるし、そこを加味し脚本をアレンジしているのもミソだ。

ヨーロッパ横断特急 1970 アラン・ロブ=グリエ文学・作家・本

アラン・ロブ=グリエ『ヨーロッパ横断特急』をめぐって

仏ヌーヴォーロマンの旗手、アラン・ロブ=グリエによる メタフィクション映画の傑作『ヨーロッパ横断特急』。 どこかフィルムノワール風、どこかサスペンスを漂わせるが ロブ=グリエのメタフィクションは、もとより筋に重きがあるわけじゃない。 あたかも映画に遊ばれているような感じに陥って そこがわかっていないと映像の世迷い人になってしまう感じだ。 騙されることなかれ。