映画・俳優

DIVA 1981 ジャン=ジャック・ベネックス映画・俳優

ジャン=ジャック・ベネックス『Diva』をめぐって

フランス映画=おしゃれ、 巷ではいまだにそんな単純な公式が横行している。 ベレー帽絵をかぶる人=手塚治虫だったり、 訳のわからない絵を描く=ピカソ、 黒人なら=運動神経抜群であるはずだ、などと同じく、 そんなステレオタイプの思い込み、先入観に裏付けされるまでもなく、 ジャン=ジャック・ベネックスの映画『Diva(ディーバ)』には 確かに、モード誌的世界観を再構築するかのような、 当時のモード観を刺激するだけの要素に満ちた ポップカルチャー満載のモダンな視覚映画といえるのではないだろうか。

『去年マリエンバートで』 1961 アラン・レネ文学・作家・本

アラン・レネ『去年マリエンバートで』をめぐって

監督は『ヒロシマモナムール』のアラン・レネ。 キャメラはその時と同じ、サシャ・ヴェルニ。 脚本はヌーヴォーロマンの旗手アラン・ロブ=グリエ。 監督と脚本家、この二人のアランは いみじくもともに38にして出会い、 アンチロマン、アンチシネマの共犯関係を結ぶことになる。 映画史に一石を投じた作品として 色褪せぬ記憶のなかにとどまり続けるだろう。 またしても、永遠に眼差しに安らぎなど訪れぬ迷宮のなかで ただならぬひとときの夢を観るのだった。

『雨の訪問者』1970 ルネ・クレマン映画・俳優

ルネ・クレマン『雨の訪問者』をめぐって

雨の日におすすめする映画、というわけではないけれど、 タイトルにもあるように、雨が印象的なルネ・クレマン『雨の訪問者』。 ルネ・クレマンといえば、『禁じられた遊び』しか知らない人や わかりやすいストーリーに見慣れている人なら ちょっとそのタッチが新鮮に映るかもしれない。 ただ映画としての出来はそれほどでもないかな。 いわゆるいいなと思う派とつまらない派が半々になるタイプだけど これぞフランス的で、ハリウッド映画にはない 細部にまでちょっとこだわりのある画風を作る映画作家 そこはルネ・クレマンの真骨頂だ。

北の橋 1981 ジャック・リヴェット映画・俳優

ジャック・リヴェット『北の橋』をめぐって

その意味ではリヴェットによる『北の橋』は、かつて74年に撮られた傑作 『セリーヌとジュリーは舟でゆく』からの続編、 とはいわないまでも、ファンタジー性やその虚構空間においては 内容は違えど、どこか地続きの映画構造のように映るだろう。 いずれにせよ、物語に容易に収斂されえない展開ながら 本能的な自由を求める奔放さでもって 観るモノを魅了してゆくリヴェットらしい即興性に満ちた 遊び心満載の、謎解き冒険譚であることは間違いない。

危険なプロット 2013 フランソワ・オゾン映画・俳優

フランソワ・オゾン『危険なプロット』をめぐって

クライマックスは、というと「情事」の矛先、 つまりは「危険なプロット」の方向性が大いにズラされてゆく。 今度は教師ジェルマンの妻ジャンヌへと向かう。 このあたりの「プロット」展開は見事だな。 こうなると今度はジェルマンが嫉妬にかられるわけだ。 あげくには学校はテスト漏洩問題が明るみに出て職はクビになるし 妻には愛想を尽かされる羽目になってしまうというってな話だが、 原題『Dans la maison』から邦題の『危険なプロット』、 内容から見ればこの邦題の方が的確に要点を突いている。

Ascenseur Pour L'Échafaud 1958 Luis Malle映画・俳優

ルイ・マル『死刑台のエレベーター』をめぐって

夜更けに、眠れなくなるやもしれぬ熱いコーヒーを口にしながら ふとマイルス・デイヴィスのアルバムを聴いていると 夜がいつになく身近なものに感じられる。 いつもなら、この時間『Kind of Blue』あたりをお供に 静かに悦に入っているところだが、 今日はいつもと違う刺激とばかり、別のアルバムに手を伸ばしてみる。 ジャンヌ・モローがジャケットを飾るのは ルイ・マルによる『死刑台のエレベーター』のサントラである。

恐怖の報酬 1952 アンリ=ジョルジュ・クルーゾー映画・俳優

アンリ=ジョルジュ・クルーゾー 『恐怖の報酬』をめぐって

このクルーゾー版に感銘を受けてリメイクされたのが フリードキンによる1978年度リメイク版だが、 今回まず、元祖『恐怖の報酬』のほうについて言及したのは 幻の傑作、フリードキンの最高傑作と誉れ高いリメイク版に触れる前に その踏み台と言ってしまうにはあまりにもったいなく 元をきちんと見直して正しい認識をもっておきたかったまでである。 ニトログリセリンの運搬に命をかける男たちの悲哀は いずれにもストーリー上共通の柱ではあるが、 やはり、恐怖へのアプローチが時代を越え、 国境を越えればこうも違うものかと 映画ならではの醍醐味を考え直させられるに至るのである。

天井桟敷の人々 1945 マルセル・カルネ映画・俳優

マルセル・カルネ『天井桟敷の人々』をめぐって

こうして出来上がった魅力溢れる人間たちの縮図『天井桟敷の人々』。 そもそも“天井桟敷”というのは 劇場の最後方・最上階にある天井に近い観客席のことをいい そこは当然料金も安く、最下層の民衆にとっての指定席で、 この映画のフュナンビュール座では「天国」と呼ばれ、 ワーワーガヤガヤと子供のように賑やかだったことから 「Les Enfant Du Paradis(天国の子供達)」と呼ばれるようになったんだとか。 いかにも演劇の盛んな国フランスならではの 文化的背景が見え隠れするエピソードである。

LE SAMURAI 1967 Jean-Pierre Melville映画・俳優

ジャン=ピエール・メルヴィル『サムライ』をめぐって 

まあ、そのあたり個人差があるだろうが 当時なら、十中八九、ドロンはまずその代名詞だった。 そんなイケメン俳優アラン・ドロンのことを思ってみる。 ふとメルヴィルの『サムライ』をみて ドロンという俳優が単に美貌だけで 世の羨望の眼差しを受けていたわけではないことを改めて理解した。 やはり、ちょっとオーラが違うのだ。