藤森照信建築、茅野訪問記
藤森照信の建築には優しさを感じる。 親しみを感じる。 日本人の心をくすぐる設計がなされているからだ。 何年か前に、その建築物をこの目でみたくなって 氏の郷土、長野の茅野の地を訪れた。 あの実にユニークな空飛ぶ茶室が観たかったのだが、 その際、隣接する縄文建築や神長官守矢史料館の佇まいにも驚かされた。
藤森照信の建築には優しさを感じる。 親しみを感じる。 日本人の心をくすぐる設計がなされているからだ。 何年か前に、その建築物をこの目でみたくなって 氏の郷土、長野の茅野の地を訪れた。 あの実にユニークな空飛ぶ茶室が観たかったのだが、 その際、隣接する縄文建築や神長官守矢史料館の佇まいにも驚かされた。
ルイジ・ギッリの写真には、何も言わずに、 ぼくらの眼球をそっと、自然に振り向けるそんな導きがある。 優しさなのか、それとも厳しさゆえか、あるいは諦観なのか。 それは「写真」という形式を借りた言説行為であり、 それ以上に「見ること」そのものを問い直すメディテーションに思えてくる。
カルトの帝王こと、デヴィッド・リンチが亡くなって、 日に日にその喪失感を募らせている。 その作品を通して、いろいろリンチに思いをはせてはいるのだが、 あらためて、その作品の持つ奥行きの沼にはまってしまった人間なら だれもがその頭の中の一度は覗いてみたくなる、 そんな魅力的なアーティストの死に、 この一つの時代の終わりを、ここに、静かにみつめてみようと思う。
その日、僕は雨の降る京都の街に降り立ち、 二条城を舞台にしたアンゼルム・キーファー展『ソラリス』へと向かった。 それは単なる美術展を超える、一つの事件のようなものだという直感があったが、 果たして、どんなものなのか、あらかじめ情報などほぼないままに足を運んだ。 場はまさに、時空を超えて響く「詩的な修復儀式」を呼び覚まし、 歴史の焦土に立ち尽くす者のための沈黙のレクイエムとして、 まるで、歴史の裂け目を埋め合わせるかのような巨大な作品が 谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を思い出すまでもなく、 重く陰影を帯びながら、奥ゆかしいまでに場に佇んでいた。
まさに、“キングオブシュール”こと、奇抜な行動と言動で知られる画家ダリ。 フランスパンやウニを頭に乗っけあの、水飴で固めたとして 常に“10時10分”を指していたという、あのトレードマークの口ヒゲをたくわえ、 その自己顕示欲に満ちた数々のパフォーマンスで 20世紀美術界を風靡したスーパースターダリ。 もはや、つまらぬ説明など不要であろう。 シュルレアリスムという運動の主要な概念は、 おおよそ、このダリ一人でも十分完結するほどに 圧倒的な力を有した存在であることは疑う余地がない。
年甲斐もなく、ホラー漫画にときめくだなんて。。。 いやはや、もはや、年齢など関係はないのだ。 とはいえ、正直に告白すれば、それは楳図かずお以来の衝撃だった。 古い記憶をアップデートできずにいた長年の思いが そこで一気に刷新されたのだ。 世田谷文学館で開催された漫画家伊藤潤二展『誘惑』に足を踏み入れたとき、 ぼくは既視感と微かな違和感に満ちた空間に包まれていたことを告白する。
本展アーティゾン美術館での「ブランクーシ 本質を象る」展は、 20世紀彫刻の夜明けを告げたコンスタンティン・ブランクーシへの、 形而上の詩にして、肉体から解き放たれた彫刻世界の核心へと 観る者を静かに誘う一つの契機だったと言える。 なにぶん、自分にとっては、ブランクーシの作品に 直に触れる初めての体験であり、 というのも、日本の美術館で初となるブランクーシ展であり 1907年に制作された、石の直彫り作品から石膏で作られた代表作《接吻》 抽象化の局地を代表する《空間の鳥》まで、 初期から円熟の1920年代の作品が集結する貴重な展示を見ることができた。
そんなことで、スペインが産んだ抽象絵画の巨匠ミロを 美術の観点から、言葉を重ねてゆく作業に限界を感じながら ある種、ミロ絵画の音楽性に甘えて、あえてぼくは言葉から逃げた。 シュルレアリスムという運動の喧騒を縫って、 ひたすら自由への道を主張し続けたミロ。 彼は絵は、生きる歓びに満ちている。 だが、ときに、キャンバスを焼くほどに熱を帯びた。 戦争への憎しみ、資本主義、物質主義への反抗。 その本質こそがミロなのである。
アンリ・マティス。 ピカソに並ぶ、20世紀美術界を代表する巨匠。 その名はぼくにとって、歳を重ねて思うのは、 それは心の情緒には欠かせない、 ひとつの教養であり、知性の源泉であり、 今回のマティス展を通し、ある種の高みにある、 敬虔で崇高な祈りにまで到達する体験であった。
坂本龍一は、音楽を空間化し、視覚化し、彫刻化した。 言い換えれば、音という“見えないもの”を、いかに見えるようにするか? そして時間という“流れるもの”を、いかに感じ取れるようにするか。 その営為は、彼を現代美術の最前線にさえ立たせるに十分だった。 彼は音楽という狭い枠に押し込められることを嫌った。 その活動は、実に多岐に渡り、後期には政治的な発言も目立った。 それが坂本龍一の関心ごとだった。 彼こそは、日本人であり、教養人であり、戦士であった。