「lopyu66」の記事

乱れ雲 1967 成瀬巳喜男映画・俳優

成瀬巳喜男『乱れ雲』をめぐって

成瀬巳喜男による遺作『乱れ雲』は 一見よく似たタイトルの傑作『浮雲』ほどにドロドロとした男女のもつれこそないが 名匠これにて完、まさに万感の思いの込められたラストが実に感慨深い。 いうなれば、ハッピーエンドには至らないが その過程を見守るだけのメロドラマ、である。 男と女がそこにいるだけで、絵になるのだが、 それが全くくどくもなく、どこまでもさりげないのが味である。 最後にして大傑作、とまであがめたてまつるつもりもないが 最後まで“らしさ”を失わず、匠の集大成ここにあり、 これぞメロドラマの名匠ダグラス・サークに匹敵する名作であり 成瀬恋しやたる、実に名残惜しい遺作として それを謳いたくなるほどに、この『乱れ雲』が愛おしい。

秋刀魚の味 1962 小津安二郎映画・俳優

小津安二郎『秋刀魚の味』をめぐって

そんな『秋刀魚の味』は、見方を変えればほんのり苦い。 そしてそれこそが、小津が教えてくれた、人生の味そのものなのだ。 娘を嫁がせて、式服のまま 守るも攻むるも鋼鐵の〜と軍艦マーチを口ずさみながら ひとりちゃぶ台でこっくりこっくり船を漕ぐ父親。 そこからの空ショット、階段、そして娘のいない部屋へ 最後はやかんからコップに水を入れゴクリ。 うなだれた姿の哀愁で映画は終わる。 失ったものと、まだ手元にあるものと、 そして、これから失うであろうものすべてを、 静かに愛おしむことができる余韻が広がっている。

ヤンヤン夏の想い出 2000 エドワード・ヤン映画・俳優

エドワード・ヤン「ヤンヤン夏の想い出」をめぐって

エドワード・ヤンが志半ばで遺した『ヤンヤン 夏の想い出』 原題『Yi Yi: A One and a Two』の響は、その副題の通り、 まるで人生という音楽が静かに始まるリズム、掛け声のように入ってくる。 結婚式で始まり、出産、そして最後は葬儀という、 およそ、だれもがたどる人間の生の営みのアウトラインが敷かれている。 ひとつ、そしてふたつ、その道程。 短くも、だが決して軽くはないひとつひとつのドラマ。 ヤンが最晩年に至ってたどり着いたそのリズムは 雄弁な言葉やドラマティックな事件ではなく、 日常のなかにそっと忍び込む影のような問いかけであり 観る者の胸にじんわりと染みわたる家族の群像風景である。

欲望の曖昧な対象 1977 ルイス・ブニュエル映画・俳優

ルイス・ブニュエル「欲望の曖昧な対象」をめぐって

物事が成就する事を、唐突に中断させるのはお手の物、 簡単にできるであろうことができなくなる可笑しさ。 蛇の生殺しのような寸止め状態、 そんなシチュエーションを意地悪く愉しみながら 観るものを不安にさせるような演出がお好きなようで、 『皆殺しの天使』では部屋から出られなくなったり 『昇天峠』ではバスがなかなか目的地につかなかったり 『ブルジョワジーの密やかな愉しみ』ではなぜか食事にありつけなかったり、 そしてこの遺作にて傑作たる『欲望の曖昧な対象』では、 目の前の女をついぞモノにできず 性に翻弄されてしまうという展開に、やきもきさせられる。 それにしてもブニュエルという人は真面目にふざけるひとである。

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.39 終活への旅路、遺作映画特集映画・俳優

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.39 終活への旅路、遺作映画特集

最近では、若い人たちの訃報もちょこちょこ耳に入ってくるし 年齢はこの際関係ないのかもしれないが、 「霊界通信」のスヴェーデンボリのように、あの世と通底でもして 自分の死に際がいつなのかを事前に知っていればいいのだが、 かくいう僕自身も、あとどのくらいこの世の地を踏めるのだろう、 そんなことをよぎる年齢になってきた。 ある程度は覚悟というか、 準備というか、日々そんな思いを静かに抱えながら しっかり芽生え出している自らの人生の枝先をじっと見つめているのだ。

日曜日が待ち遠しい! 1983 フランソワ・トリュフォー映画・俳優

フランソワ・トリュフォー『日曜日が待ち遠しい! 』をめぐって

あのヒッチコックも鼻で笑うような もったいぶった出だしを書き連ねたのは 今夜トリュフォーの『日曜日が待ち遠しい!』を観たからだ。 フィルム・ノワール、つまりは犯罪映画でもあり 同時に軽妙なコメディタッチで描かれた、 ファニー・アルダンとジャン=ルイ・トランティニアンの なんとも渋い大人の恋の物語でもある。 ジョルジュ・ドルリューのスコアに乗って オープニングから、こちらは犬が絡んで 路上を小気味好く闊歩するアルダンが素敵すぎる。 これってタチ讃歌?とでもいうべく、牧歌的な始まりに胸がときめく。

DIVA 1981 ジャン=ジャック・ベネックス映画・俳優

ジャン=ジャック・ベネックス『Diva』をめぐって

フランス映画=おしゃれ、 巷ではいまだにそんな単純な公式が横行している。 ベレー帽絵をかぶる人=手塚治虫だったり、 訳のわからない絵を描く=ピカソ、 黒人なら=運動神経抜群であるはずだ、などと同じく、 そんなステレオタイプの思い込み、先入観に裏付けされるまでもなく、 ジャン=ジャック・ベネックスの映画『Diva(ディーバ)』には 確かに、モード誌的世界観を再構築するかのような、 当時のモード観を刺激するだけの要素に満ちた ポップカルチャー満載のモダンな視覚映画といえるのではないだろうか。

『去年マリエンバートで』 1961 アラン・レネ文学・作家・本

アラン・レネ『去年マリエンバートで』をめぐって

監督は『ヒロシマモナムール』のアラン・レネ。 キャメラはその時と同じ、サシャ・ヴェルニ。 脚本はヌーヴォーロマンの旗手アラン・ロブ=グリエ。 監督と脚本家、この二人のアランは いみじくもともに38にして出会い、 アンチロマン、アンチシネマの共犯関係を結ぶことになる。 映画史に一石を投じた作品として 色褪せぬ記憶のなかにとどまり続けるだろう。 またしても、永遠に眼差しに安らぎなど訪れぬ迷宮のなかで ただならぬひとときの夢を観るのだった。

『雨の訪問者』1970 ルネ・クレマン映画・俳優

ルネ・クレマン『雨の訪問者』をめぐって

雨の日におすすめする映画、というわけではないけれど、 タイトルにもあるように、雨が印象的なルネ・クレマン『雨の訪問者』。 ルネ・クレマンといえば、『禁じられた遊び』しか知らない人や わかりやすいストーリーに見慣れている人なら ちょっとそのタッチが新鮮に映るかもしれない。 ただ映画としての出来はそれほどでもないかな。 いわゆるいいなと思う派とつまらない派が半々になるタイプだけど これぞフランス的で、ハリウッド映画にはない 細部にまでちょっとこだわりのある画風を作る映画作家 そこはルネ・クレマンの真骨頂だ。

北の橋 1981 ジャック・リヴェット映画・俳優

ジャック・リヴェット『北の橋』をめぐって

その意味ではリヴェットによる『北の橋』は、かつて74年に撮られた傑作 『セリーヌとジュリーは舟でゆく』からの続編、 とはいわないまでも、ファンタジー性やその虚構空間においては 内容は違えど、どこか地続きの映画構造のように映るだろう。 いずれにせよ、物語に容易に収斂されえない展開ながら 本能的な自由を求める奔放さでもって 観るモノを魅了してゆくリヴェットらしい即興性に満ちた 遊び心満載の、謎解き冒険譚であることは間違いない。