小林勇貴『全員死刑』をめぐって

全員死刑 2017 小林勇貴
全員死刑 2017 小林勇貴

B級低級すべて杞憂、屑たちに捧ぐ嘲笑のレクイエム

『全員死刑』。
何だ、この強烈なタイトルは?
手を伸ばすべきか、無視すべきか?
しばらく頭のどこかにひっかかってはいたが、
ずっとスルーしてきた映画である。
バイオレンスは当然、恨み、辛み、憎しみと言った
負のオーラをプンプン匂わせる。
が、どこかで悪趣味なものも観てみたい、
たまにはB級ものが観たくなるってのが映画好きの性だ。
映画は所詮娯楽。
かならずしも高尚なものたちのためだけにあるものじゃない。
そんな気持ちに抗えず、勢いで観てしまった。
もっとも、そんなことはそうめったにはない。
記憶を辿れば熊切和嘉『鬼畜大宴会』あるいは
カルトな悪趣味映画の代表作ジョン・ウォーターズによる
『ピンクフラミンゴ』以来のことだ。

予想通り、なんじゃこりゃ??
ひさびさに後味が悪い映画だ。
けれども、今迄観たこともないような、そんな昂揚感があるではないか。
それはいい意味で面白いと思わせる何かがあった。
そこそこの出来で、あたりさわりのない作品を見せられるよりも
ばかばかしいほど痛快きわまりないものが、ここにはある。
悪人が悪人然としてはいるが、
どこかでシュール、どこかでギャグのように
忌まわしいできごとがふざけた格好で繰り返されてゆく。

しかし、観終わってから、
冷静に、この映画の背景を考えてみることにした。
九州で実際にあった大牟田4人殺害事件を元に書かれた
鈴木智彦による『我が一家全員死刑』を映画化している。
とあるヤクザな一家のずさんな殺人興業か?
いわゆる愚か者たちのオソマツな話であるけれど、
一応は、家族の思いが交差するところが漫画のように面白い。
(原作者は「無残に殺された被害者を道化にされ居直られた」と遺恨を残している)

生活にも窮するヤクザ一家が、
てっとりばやくカネを入手する方法を思いつく。
近所の資産家(金貸し)一家の現金強奪のために人殺しを敢行する。
短絡的で無慈悲な犯行である。
そんなものをまともに描いたらどうなるか、
通常の神経の持ち主ならわかることだが、
この監督はあえてそこを狙ったのだろう。

個人的に、これをだれかに薦めたくもならないし、
繰り返し見たいとも思わないが、
ひとつだけ、この映画に素直にのめりこめた理由はというと、
小林勇貴をはじめとする、作り手側の映画への熱のようなものを感じ取ったからだ。
それが行き過ぎて、同年次作の『ヘドローバ』では
児童虐待の件で炎上しているほどだが、それはそれとして、
近年の韓国映画から伝わってくる、映画に対する情熱のようなものが、
どこからともなく伝わってきたのは確かである。

それにしても、愚かな人間たちである。
実話の話を少し追ってみたが、実にくだらない家族である。
唾棄すべき人間とは彼らのことである。
クズ中のクズたち。
どこかで箍が外れた、というよりも
もとから破滅の道をたどって一直線に刑場へと送られるべき一家。
もっとましな生き方があったろう。
けれども、映画の神は、むしろこういう屑な人間の話が好物だ。
リアルに恐ろしい場面をエンターテイメントとして咀嚼する術に、
意外にも長けた小林監督の初長編作品である。
たまにはこういうものを観たくなるが、しばらくはいい。
それぐらい、しっかりと残ってしまった。

ただし、くれぐれも勘違いしてはいけないのだ。
悪いのは、実話のやくざ一家であって、
映画に関係する人間ではないということを。
こんな奴らに人生を台無しにさせられてはたまらない。
そして、肝に命ずべきことは
映画とは、あくまでフィクションだということを。

皆殺しのメロディ:The Blue Hearts

実際の映画とはなんの関連もないが、映画にはぴったりな曲。こちらは特に、特定のものに向けたメッセージでもないが、とりわけ若い少年たちに向けた、ブルーハーツらしい、マシンガンのごとくぶっ放されたストレートなメッセージソングである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です