『ミロ展』のあとに
そんなことで、スペインが産んだ抽象絵画の巨匠ミロを 美術の観点から、言葉を重ねてゆく作業に限界を感じながら ある種、ミロ絵画の音楽性に甘えて、あえてぼくは言葉から逃げた。 シュルレアリスムという運動の喧騒を縫って、 ひたすら自由への道を主張し続けたミロ。 彼は絵は、生きる歓びに満ちている。 だが、ときに、キャンバスを焼くほどに熱を帯びた。 戦争への憎しみ、資本主義、物質主義への反抗。 その本質こそがミロなのである。
そんなことで、スペインが産んだ抽象絵画の巨匠ミロを 美術の観点から、言葉を重ねてゆく作業に限界を感じながら ある種、ミロ絵画の音楽性に甘えて、あえてぼくは言葉から逃げた。 シュルレアリスムという運動の喧騒を縫って、 ひたすら自由への道を主張し続けたミロ。 彼は絵は、生きる歓びに満ちている。 だが、ときに、キャンバスを焼くほどに熱を帯びた。 戦争への憎しみ、資本主義、物質主義への反抗。 その本質こそがミロなのである。
ちなみに、同じ雨に日の音楽といっても 梅雨時期の雨と秋雨、春雨、 それ以外の時期の雨とはニュアンスが違うように思う。 六月の雨は、いわば定番の雨であり 次に控える夏の前座でもある。