今村昌平『人間蒸発』をめぐって
「この映画はフィクションであり、そのあたり勘違いしないで下さい」 イマムラはそう念を押す。 なぜなら、フィクションであるということが、 この映画の救いであり、成功なのだという確信があるからである。 この映画は「蒸発者をめぐる考察」をしただけであり その本質が導き出されたわけでもない。 それどころか、問題の論点は「真実とはなにか?」であり 真実は誰にもわからない、という帰結の中で 映画に出演したという勲章はさておき、 登場人物たちのだれもが徳をしない、 まったくもって不快な思いしか残さない映画になっている。 そのあたりの執拗さは、他の映画にも見受けられる本質だが ここに、真実という生々しい現実がかぶってくるあたりに 映画としての面白さが広がっている。 作りの手の意図をはるか超えた次元でまぎれもない傑作に仕上がっているのだ。