陽炎座

鈴木清順 1923-2017映画・俳優

サロン De 鈴木清順

鈴木清順、この名前をきいただけで意味もなく ワクワクニヤニヤする映画好きは、なにも僕だけじゃないはずだ。 没後9年の年月を経て、生誕100年を超えた今、 この監督が活躍した昭和といえば、 遠い昔のことであるからこそ、改めて時代が問い直すのだとすれば、 鈴木清順とは、一体なにものだったのか? 代名詞たる“大正ロマン”とはなんだったのか、という問いである。 それは遠い日の夢花火で片付けられるものではないのだ。 その感性に、まだ時代が完全に追いついたとまでは言いがたいが、 映画史に、その名を刻んでいる事実は 映画史のみならず、我が国の文化的な誇りといっていい。

陽炎座 1981 鈴木清順文学・作家・本

鈴木清順『陽炎座』を視る

時は大正、1926年の東京。 鈴木清順による『陽炎座』の世界に、一度踏み込むと そうやすやすと抜けられそうもない。 まさに、映画六道めぐり、 その夢なる景色が、単にまどろみにとどまらず まるで白昼、真夏の地面に揺れる蜃気楼のように、 こちらの意識をからかい、惑わせ、弄んだかと思うと、 甘美に絡み合っては、いつしかまた儚くすり抜けていく。 登場人物たちはまさに、生きては死に、死んでも生き続けるような そんな妖うさのなかを行き来戻りつする住人たちばかり。 劇中、大楠道代演じる玉脇の妻品子の言葉に 「夢というのはなぜ覚めるのでしょう? 一生覚めなければ、夢は夢でなくなるのに」とあるが、 まさに、このセリフがこの映画の核になっている。 そう、冒頭に引用したこの品子が劇中懐紙にしたためた、 小野小町の歌そのものではないか。