哀れなるものたち

『フランケンシュタイン』1931 ジェームズ・ホエール映画・俳優

ジェームス・ホエール『フランケンシュタイン』をめぐって

よって、ジェームス・ホエールの『フランケンシュタイン』を、 ただの古典ホラーといって片付けてはもともこもない。 その核心には、稲妻が死体を打つ瞬間よりも、 怪物のゆっくりとした“まなざし”、 内なる感情のゆれを見つめていていたい瞬間があるからだ。 怪物は、怪物として、すでに誕生した瞬間から 世界にとっての“異物”として扱われることを余儀なくされる。 しかも脳のなかみは象徴的なまでに粗暴な殺人者のそれ。 実のところ、彼はまだ何も知らないし、なにもしでかしてはいないのだ。 そこには善悪も、暴力も、恐怖もない。 むろん、企みや野望も持ち合わせてはいない。 いわゆる赤ん坊そのものである。

哀れなるものたち 2024 ヨルゴス・ランティモス映画・俳優

ヨルゴス・ランティモス『哀れなるものたち』をめぐって

エマ・ストーンが演じるベラ・バクスターは、 死体の身体に胎児の脳を移植された再構成された、 いうなれば人の形を残した怪物だ。 その設定だけを見れば、ネオフランケンシュタイン的な話だが、 本作が行き着く先は単なるホラーでもSFでもなく、 むしろ、快楽、自由、知、そして他者との関係性を通して、 自己が自己であるための条件を問いなおす"存在論的ラブストーリーを生き 目覚めたひとりの女性の物語である

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.41 ポストパンデミック後編:シネマでぶらり、映画鑑賞特集映画・俳優

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.41 ポストパンデミック後編:シネマでぶらり、映画鑑賞特集

コロナ禍においては、色々な制限が課されていたこともあり、 映画館へ足を運ぶ機会も意欲も、ずいぶん減ってはいたが、 最近では、気分的にも大きなスクリーンで集中してみる映画体験を 積極的に回帰している自分がいる。 とはいえ、映画を見たい、手軽に見たいという欲望が無くならないが故に、 ストリーミングに頼るという生活もまた、なくなる事はない。 作品を何度も見直すことができるし、 どこでもかからないような、貴重な作品さえも手が届く。 何より、映画を愛するものにとって有難いまでの仕組みが多く提供されている。 いずれにせよ、1本の映画作品の価値は、 形態や見方を変えても変わるわけではない。 その本質を見落としてしまえば、単なる時間の消費に過ぎなくってしまう。