勝新太郎『顔役』をめぐって
自ら「勝プロダクション」を創立し、 演じる側から撮る側に方向転換を図った、 (結局演じることはやめなかったが) 勝新の記念すべき監督第一作が『顔役』である。 かねてから想像でふくらませていた、 このぶっとんだ内容との評判の映画を観たときの、 これは保存版興奮記録である。
映画・俳優自ら「勝プロダクション」を創立し、 演じる側から撮る側に方向転換を図った、 (結局演じることはやめなかったが) 勝新の記念すべき監督第一作が『顔役』である。 かねてから想像でふくらませていた、 このぶっとんだ内容との評判の映画を観たときの、 これは保存版興奮記録である。
映画・俳優1960年、同期のライバル雷蔵に差をつけられていた折、 勝新に巡ってきたひとつの転機があった。 犬塚稔が脚色したこの宇野信夫の同名戯曲『不知火検校』において 勝新は極めて異様で魅力的な主人公を演じたことだ。 監督は大映黄金期を支えたMR活動屋、森一生。 映画史において、盲目の主人公が人々の心を射抜くというのは、 決してありふれた現象ではない。 だが、そこに勝新太郎という異端の俳優が登場すると、 その図式はがらりと変わるのだ。 詐欺、強姦、強殺教唆、殺人、悪びれることなく悪行の限りを尽くし それでいて、なんともいいがたい色気を放っている。
映画・俳優勝新太郎が1989年に撮った『座頭市』。 文字通りのラスト座頭市であり、 73年、自身の勝プロで『新座頭市物語 笠間の血祭り』を撮って以来 十六年ぶりに完全復活を果たし、 勝新が最後にメガフォンをとった作品としてシリーズ最終作であると同時に、 のちに訪れる破滅と影を予告する、 奇妙に澄んだ悲劇性をも帯び、いろんな意味で呪われた映画だ。
特集そこで、今回は、映画作りにおいて 監督兼俳優、ひとりでとりしきる孤高の映画作家を特集してみようと思う。 ひとよんで二刀流映画術。 むろん、映画など、とうていひとりでできるものではないし、 監督と俳優を兼ねるから、出来のいい映画が出来るわけでもない。 それがウリになるほど甘いものではないのだが、 うまくいけば、すべてその二刀流作家の勲章になり こければ、すべての責任が覆い被さってくる。 まさに自己責任である。