ロベール・ブレッソン

ラルジャン 1983 ロベール・ブレッソン映画・俳優

ロベール・ブレッソン『ラルジャン』をめぐって

カネは天下の回りもの、人の手から手へと移り行く媒体であり、 いわば、人の間をしらないうちに媒介するウィルスのようなものかもしれない。 ロベール・ブレッソンの遺作、その名も『ラルジャン』もまた 今は無き、そのブレーズ・パスカル旧500フラン紙幣にノスタルジーをそそられながら 1枚の贋金が一人の青年を狂わせることになる貨幣の寓話だ。 アンドレ・ジイドによる小説『贋金つくり』が書かれた国、 フランスのパリを舞台にした現代版の寓話には その硬質で静謐な映像の中に、人間の変質、社会の冷酷、 そして神の沈黙という大きなテーマが、ほとんど不可視の形で織り込まれている。 トルストイの短編『にせ利札』を原作としながら、 ブレッソンは、この道徳的物語を説教臭く描くことを潔く拒絶する。 ひたすら無表情なカメラと、モデルと呼ばれた素人俳優たちによって、 まるで機械が悪を運んでいくかのような、非演技的における“構造の悲劇”を描き出し まさに贋札づくりに欠かせぬ、確かで完璧な職人芸が支えるこの映画は いみじくも職人ブレッソンの「シネマトグラフ」に傑作を残し終わりをつげた。

やさしい女 1969 ロベール・ブレッソン文学・作家・本

ドミニク・サンダスタイル『やさしい女』の場合

それにしてもドミニクの目ヂカラが半端なく凄い。 まるで、相手を射抜いて石にでもしかねないかのように強く鋭い。 バスタブでおとした石鹸を夫から手渡されるシーンをみよ。 それがどこかで悲劇に直結していると思うと、胸が締め付けられる。 だが、夫との視線で癒やされることは一度もない。 心の距離もまた、縮まることがない。 表情が緊張から解かれることがないのだ。 まるで手を離れた凧のように、離れてゆくばかりである。