今道子の写真をめぐって
食べ物を粗末にするな、とは 日本人なら、むかしからよくいわれてきたことである。 テレビ番組などで、食べ物を使ってふざけ合うコントのようなシーンを放映すると 必ずクレームが入ったとはよく聴く話。 そうしたモラルの是非はおいておくとして、 それが芸術なら許されるか? という点において、 今回、そこを問題提起したいわけでもなく、 ひたすら、その世界観に魅せられるという想いから、 純粋に写真家今道子による作品について、触れてみたい。
アート・デザイン・写真食べ物を粗末にするな、とは 日本人なら、むかしからよくいわれてきたことである。 テレビ番組などで、食べ物を使ってふざけ合うコントのようなシーンを放映すると 必ずクレームが入ったとはよく聴く話。 そうしたモラルの是非はおいておくとして、 それが芸術なら許されるか? という点において、 今回、そこを問題提起したいわけでもなく、 ひたすら、その世界観に魅せられるという想いから、 純粋に写真家今道子による作品について、触れてみたい。
アート・デザイン・写真魚や鳥、果物や植物を構成して 肖像画を描いてしまうその想像力に舌を巻かざるを得ないのだ。 なんと刺激的で、魅惑的な絵画なのだろう。 ダリを始め、エルンストやマグリット あるいはチェコのシュワンクマイエルなど、 そのエッセンスは当然のごとく、 20世紀の美術に多大な影響を与えており シュルレアリスムの父とさえ呼ばれるところだが そのグロテクスなアンチンボルドの寄せ絵には、 どこか静謐さと品性が絶えず宿っており 少なからず、その人となりを伝えているように思われる。
アート・デザイン・写真僕は絵の可能性、一枚の絵の魅力に取り憑かれた人間というだけだ。 絵描きという存在の復権を願って、ここに美術史の中から なんの脈略もなく、心に留まった画家を拾い集め 個人的な思入れを書いてみよう。 あえて、絵というものに終始固執した画家たちについて取り上げてみよう。 僕にとってはそうした絵描きは憧れであり、同志であり、夢先案内人だ。
アート・デザイン・写真だからここで言及するのは、あくまで個人的な嗜好に基づいた偏愛的関心でしかない。それは心を豊かにし、ウキウキさせ、時に人生そのものに対する見識を深めることができるものばかりだ。何より、それが自分がアートというものに抱いている感情の源泉なのである。