ポール・デルヴォーという画家
ベルギーの画家といえば、 真っ先にマグリットの絵を浮かべてしまうところだが、 ここにもう一人、ポール・デルヴォーの名を忘れるわけにはいかない。 マグリットがまさにシュルレアリスムの画家と言って差し支えのない、 形而上学的で、無意識下の心理をくすぐる絵だったのに対し、 デルヴォーの場合は、シュルレアリスムの画家と呼ぶに、 どこか躊躇してしまう何かがある。 上品で優美な写実的風景が横たわっており、 シュルレアリスティックな夢の領域だけではどうも収まりが悪いのだ。
ベルギーの画家といえば、 真っ先にマグリットの絵を浮かべてしまうところだが、 ここにもう一人、ポール・デルヴォーの名を忘れるわけにはいかない。 マグリットがまさにシュルレアリスムの画家と言って差し支えのない、 形而上学的で、無意識下の心理をくすぐる絵だったのに対し、 デルヴォーの場合は、シュルレアリスムの画家と呼ぶに、 どこか躊躇してしまう何かがある。 上品で優美な写実的風景が横たわっており、 シュルレアリスティックな夢の領域だけではどうも収まりが悪いのだ。
厄介なのは、そのイメージに対し、 全く予期せぬタイトルがつけられて いよいよ我々の理解は言葉では説明がつかず 無防備にさらされてしまい、身動きが取れなくなってゆくことである。 まさにマグリットが繰り返し描いた石化風景に 身を以て埋没してしまうのである。 マグリットはそうしたものの総体をポエジーと呼ぶ。 なんと便利な用語だろうか。 されど、これほど端的なものものなく、 まさにイメージの詩学が展開されるのだ。
池田満寿夫という人は実に奔放というか 無邪気というか、様々なアーティストからの影響を素直に受け、 どこまでも確信犯的にそのスタイルを取り込んできた。 もっとも影響をうけたのはピカソであろう。 それは初期の版画作品にも如実に表れているが そのほか、ヴォルスやミロ、デクーニングやマチス カンディンスキーにウォーホールといった 豊かな線や色彩の魔術師たちの影響を次々にわがものにしながら ひたすら貪欲に世界を開拓していった人である。
色彩のイッテン主義、賢者の教義を聴講するべし バウハウス? って何のことかしら?住宅メーカーか何か?それとも、おしゃれな犬小屋のこと?ひょっとして、むかしいたイギリスのバンドだったら知ってるんだけど。。。(今思うとなかな...
それにしてもマン・レイとは、なんと運命的な名前だろうか? ネーミングセンスにも味がある。 仮に日本語で「光男」などと訳そうものなら、 ずっこけてしまう微妙さまで漂ってくる。
魅力マックス、アート版モテ男はダダの人 十代の男の子がバンドをやる大抵の理由はズバリ、女の子にモテたいが故だというのは何もここで強調することもない定説であろう。だから、音楽はこれから先も人類が滅びない限りにおいてはさほど...
もっとも、ぼくがデュシャンを評価するとき、 現代美術界のスーパースターM・Dではなく、 チェス大好きっ子デュシャンであり、 モナリザにヒゲを書いたりなくしたりして、 面白がっている子供のようなイタズラっ子の姿であり、 なによりも、コトバに対するデュシャンの純粋な興味にそそられる。
もっとも、大竹伸朗は現代美術の作家という枠に 収まりきれないアーティストだと最初に書いたように その可能性が無限に広がりを見せるアーティストである。 仮に、あたまでっかちな感じでとらえているひとには、 まず、絵本『ジャリおじさん』をおすすめしよう。 子供ならずとも、まずは大人が読むべく絵本なのかも知れない。 「ジャリ ジャリ」という「こんにちは」という挨拶の言葉で始まる。
単なる画家、グラフィックデザイナーという枠のイメージに 収まりきらない横尾忠則というアーティストが むかし、YMO第四のメンバーに加わるという構想があったという。 もし、実現していたらどうなっていたんだろうか?
すべてのECM音源が自在に拝聴できる素晴らしい時代に ふたたび、この特筆すべきサウンドカラーを 発信しつづける豊穣なライブラリーから 新たな発見をする前に、 自分なりに過去聴いて来たECMレーベルの 少ないコレクションのなかから 自分好みの音を今一度再認識しておく意味でのベスト コレクションをまずここに挙げておきたいと思う。