佐渡岳利 2019 NO SMOKING映画・俳優

佐渡岳利 『NO SMOKING』をめぐって

「音楽とは、風景のようなものだと思う」と、細野晴臣はどこかで語っていた。 それはおそらく、時間を切り取って情熱的に表現するものではなく、 ただそこに在り、耳にふと触れ、気づけば心に棲みついているような存在。 その活動50周年を記念して制作された 佐渡岳利によるドキュメンタリー映画『NO SMOKING』では、 そんな彼の音楽と人生を、まるで柔らかな風がページをめくるように、 静かに辿ってゆく。 観終えたとき、私たちの中に残るのは、かならずしも伝説や栄光ではない。 むしろ“人としての細野晴臣”、そのゆるやかで、しなやかで、 ふしぎに温かな「空気感」が漂ってくる。

コリン・カリー・グループ ライヒ《18人の音楽家のための音楽》音楽

スティーブ・ライヒ《18人の音楽家のための音楽》をめぐって

先日、生でこの音楽を体験できた。 会場は、同じく、ライヒ自身によるお墨付きの 「視覚的にもサウンド的も素晴らしい」と太鼓判を押した場所である。 生まれて初めて、クラシックホール「オペラシティ」での 音楽演奏会鑑賞体験というわけだったが、 演奏は、これまた、ライヒお墨付き、 「現役打楽器奏者の中で最も優れた演奏家のひとり」 そう評価されたコリン・カリー率いる18人のメンバー。 申し分のない条件だ。 コリン・カーリー・グループによる演奏による 波動の音浴の気持ち良さを言葉にするのはあまりに野暮というものだが、 掛け値なしにエレガントなまでに、天上的世界があった。 それは、これまでずっとひとりでヘッドホンの中に築いてきた音の疑似空間が、 突然現実の空間に引き出されたかのような、夢のようなひとときでもあった。

文学・作家・本

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.43 季節の終わりの音めぐり寄稿

まだ、暑さが周りに居座っているうちに、この企画を立ち上げておこうと思う。 コラムは、別段、夏という季節に固執するわけでもないが、 音楽は一年中、あるものでありながらも 季節の移ろいにも敏感であり、その影響を受けないではいられない。 夏真っ盛りよりも、すこし陰を帯びた、 失いゆく夏の終わりの時間の方にそそれらる身としては、 そんな思いに乗じて、音楽について、いつものように、ダラダラと 今のぼくのアンテナ、好みに従って刻印しておこうと思う。

AMERICAN UTOPIA 2020 SPIKE LEE映画・俳優

スパイク・リー『AMERICAN UTOPIA』をめぐって

トーキング・ヘッズの伝説のライブ映画『STOP MAKING SENSE』の感動は 40年たった今も忘れてはいない。 (いみじくも4Kレストアでの公開がきまったおりだ) ダブダブのスーツを着込んだデイヴィッド・バーンの、 クニャクニャダンスが目に焼き付いて離れない。 何より、トーキング・ヘッズ全盛期、 その音楽のカッコよさは、サントラを聴いても今なお十分高揚感がある。 時代が変わり、デイヴィッド・バーンもそれなりに歳をとり 今度はスパイク・リーと組んで、『AMERICAN UTOPIA』という またもやご機嫌な映画を届けてくれた。 集大成? いやいや、新たな歴史がここに始まった、 そう言っても過言ではないだろう。

Elle est retrouvée ! Quoi ? l’éternité. C’est la mer mêlée    Au soleil.文学・作家・本

文学と音楽をめぐる調べ(前半)

本はいつだって、我々にもミュージシャンにも、 インスピレーションの源であり続ける。 中には、自分で文学作品を書くミュージシャンだっているし、 その詞の世界は文学以上に難解である場合もある。 音と言葉の共鳴と共存。それが文学という名の洗礼を浴びて、 よりいっそう豊かに響くのだ。 そうした側面を吟味しながら音楽を聞けば、 また違った音楽の魅力にたどり着けるかもしれない。

箱男 2024 石井岳龍文学・作家・本

石井岳龍『箱男』を視る

YOU TUBE上に、生前の安部公房の公演の記録テープが残されており 『箱男』の創作エピソードが語られている。 それを拝聴していると、 箱をかぶった浮浪者の姿を目撃した作家安部公房の頭の中には まだ理路も主題もなかったのがよくわかる。 安部は、この視覚的衝撃を「気味の悪い存在」として自分の中に取り込み、 それを引き延ばし、概念化していくのだが、 その過程が容易ではなかったことは、要した5年の歳月が証明している。

恐るべき子供たち 1950 ジャン=ピエール・メルヴィル文学・作家・本

ジャン=ピエール・メルヴィル『恐るべき子供たち』を視る 

コクトーは文学史的にも映画史的にも、 はっきりとした位置づけの難しい作家だった。 本人は、詩人の血の下に、あらゆる創造メディアを駆使しながら、 詩の世界に戯れ、その世界で才能を発揮し、 今のマルチクリエーターの走りとしての認識も高い。 ある意味、属性なき作家として、その名を刻んだ自由の人だった。 『恐るべき子供たち』には、その奔放な男遍歴から毒好み、 そして生涯抱えていた死の観念といった禁断の世界の片鱗が コクトーの美学として随所に貫かれている作品だ。

ドグラ・マグラ 1988 松本俊夫文学・作家・本

松本俊夫『ドグラ・マグラ』を視る

♪ チャカポコ、チャカポコ……どこからともなく響いてくるあの音。 聞こえますか? 精神病棟の白い廊下。 鏡に映る「自分」らしき他人。 見えますか?  そして唐突に始まる、演説のような講義、 反復されるセリフ、次第に歪んでいく時空と論理……。 ようこそ、松本俊夫監督の実験映画『ドグラ・マグラ』(1988年)へ。