はなればなれに 1964 ジャン=リュック・ゴダール映画・俳優

ジャン=リュック・ゴダール『はなればなれに』をめぐって

チンピラというにはあまりにもふざけすぎていて、 ギャングというにはつたなすぎる悪党ぶり・・・ いずれ、終幕は見えている。 欲しいものはなんなのか。金か女か友情か? それとも刹那の快楽か? うすっぺらいようでいて 実は絶妙な息とリズムでもって繰り広げられる、 男と男が一人の女を挟んで、トライアングルに揺れるどたばた劇。 『Bande A Part 邦題:はなればなれに』こそが JLG流アンチハリウッド、フィルムノワールの真髄ってやつか。

Paterson 2016 jim jarmusch映画・俳優

ジム・ジャームッシュ『パターソン』をめぐって

この『パターソン』と言う映画は これまでのスタイルに即した、ジャームッシュらしい作品で、 特に新しいスタイルなんてどこにもない。 なのに、とても新鮮で愛くるしく心地よい。 晩年に向かうにつれ、 同じようなテーマを繰り返し、 円熟の極みとしての映画にこだわった あの小津調の空気感にも通じる。 ただ、こちらもそれなりに歳をとって ものの見方にも微妙な変化があり そうしたこなれた見方、と言うのはあるのかもしれない。

ミリキタニの猫 2006 リンダ・ハッテンドーフアート・デザイン・写真

リンダ・ハッテンドーフ『ミリキタニの猫』をめぐって

ミリキタニことジミー・ツトム・ミリキタニ、 本名を三力谷勉(漢字で書くとなるほど納得する)といい、 カリフォルニア州サクラメントに生まれた日系人で 一度郷里日本の広島での生活を経由し、 いうなれば、帰米(キベイ)者として 「優れた日本の芸術を世界に紹介する」という大志により 再度海を渡った気骨ある人物である。 そのドキュメンタリー映画『ミリキタニの猫』が 多くの人の心を鷲掴みにした出来事となったのである。

Dries Van Noten 1958-サブカルチャー

『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』をめぐって

そうした意識に徹頭徹尾基づいた美を創造するファッションデザイナー、 ベルギー、アントウェルペン出身 ドリス・ヴァン・ノッテンのドキュメンタリー映画 『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』を観て なんと気高く、なんと美しいのだろうか、そう思った。 華やかな業界にありながらも、 地道で地味な佇まいで創造を重ねる深い精神性が宿っているのを感じ取る。 ファッションデザイナーだから、ではなく、その生き樣に共鳴するものがある。

MARK RYDENアート・デザイン・写真

マーク・ライデンについて

見た目のおどろおどろしさや、 異物感を差し引いても偏愛したくなるもの。 そういうものがキッチュと呼ばれるわけだが そうしたものを美術として認識することで ロウブロウが生まれる。 別にデタラメでも下手ウマでもない。 そのポップシュルレアリスムのゴッドファーザーと呼ばれているのが マーク・ライデンである。 この世界に触れればロウブロウを無教養などと 訳すことはまずないだろう。

Céline et Julie vont en bateau 1971 Jacques Rivette映画・俳優

ジャック・リヴェット『セリーヌとジュリーは舟で行く』をめぐって

そんなわけで『セリーヌとジュリーは舟で行く』をじっくり見返したところで、 観たいというより、自分の感性に近しい映画を 定期的に確認しておきたい、ということでして。 すでに数回目にしているというのに その期間があまりにも開いたおかげで(もう十年以上前だったけな) 記憶がはっきりしないもどかしさがあるのです。 もっとも、観た後でさえ、 内容や感想をうまく書けるかどうか、怪しいもので・・・ とはいえ、間違いなく生涯のベストテンには入れたい映画なのです。 中毒性のある偏愛性のつよい映画なのだからしょうがありません。 いやはや、麻薬のように面白い映画なんだな。

september1音楽

我が家のセプテンバーソング定番セレクション:前編

竹内まりやの懐かしの「セプテンバー」を聴いていると 「一番寂しい月」なんて歌われるものだから 切なくなってくるのだけれど 自分には一年の中でもっとも好きな月なのであります 紅葉ならぬ昂揚の季節。 ロマンチックムーンの下で、はみかむ文学少年少女たちよ、 今こそ羽ばたくときだ! まさしくすみれセプテンバーラブ、というわけ。