beatles 来日 1966音楽

イケイケ時代の赤裸々ラララな60’s グラフィティ

しかし、どうころんでも、万人が納得し共感を得るような そんな60’sを回想できそうもない。 といって、単にマイナーで、へんてこなものばかりを振りかざす気にもなれない。 あくまで、心に響く後付けの60’s というくくりでしかない。 はたして、当時、このエリアに熱狂していた人がいるのだろうか、 いたとしたら、きっと仲良くなれたかどうかさておき 今より遙かにレアで、特殊な人種だったのはまちがいないだろう。

野坂昭如 1930−2015サブカルチャー

野坂昭如のこと

この『東京小説』は、現在から未来へかけての トウキョウの有り様、行く末を暗示している。 いわば、とてつもなく大きなテーマでありながら、 いつになく、野坂節はクールに、どこか達観したかのように 軽やかに決めてくれる14の短編小説からなっている。 野坂文学、その文体は麻薬のように読み手を酔わせるのだが、 その世界に踏み込んでいけばいくほど、 この作家の懐の深さを発見する。 そう、僕にってはNOSAKAとはたえず発見の作家でもある。

山口小夜子 1949 - 2007サブカルチャー

山口小夜子のこと

文化人類学者山口昌男によれば、 「ルル」というのは舞台芸術のジャンルで人気を博し、 女の道化師として、日常のモラルに抗った、 いわばアナーキないち体現者のことだという。 岸田理生原作、演出佐藤信の舞台『忘れな草』で いみじくもルルを演じた山口小夜子の根底には そうしたアナーキズムが脈々と受け継がれていたのだろう。

サブカルチャー

『寺内貫太郎一家』のこと

『寺内貫太郎一家』の主人である石屋の貫太郎は いわゆる頑固おやじそのもので、 課長としていつも威張っていて、全くもって独裁的である。 おそらく設定は昭和一桁の世代だろう。 時に暴言、暴力は当たり前だ。 だが、そレゆえに本質的な優しさや愛情が よりダイレクトに伝わってくるのである。 無論、ドラマとしての誇張はあるものの、 昭和を生きてきた人間には、多少なりとも馴染みがあり、 決して他人事には思えない家族の風景なのである。

渋澤龍彦 1927-1987文学・作家・本

渋澤龍彦のこと

かくして、僕が異端文学をはじめとするフランス文学の洗練を浴びたのは この渋澤龍彦の影響抜きには語れないことを自覚するのである。 何年経っても、その全貌は計り知れないが、 氏の博識な宇宙の前に佇むと、 年甲斐もなく、単なる異端文学愛好家としての蒼白い焔が高ぶってくる。 一時期、澁澤関連の本ばかりを積み上げ 片っ端から夢中になって読み耽っていたものだ。 もっとも、あれは主に十代の頃の頭でっかちなころの話で、 肝心の中身は随分と抜け落ちてしまっている。

でんきくらげ 1970 増村保造映画・俳優

渥美マリのこと

そんな渥美マリだが、とりわけ増村保造による二本、 『しびれくらげ』『でんきくらげ』は、映画として 悪くはない作品として輝きを保っている。 渥美マリを主演として、堂々とパンチの効いた作品を残しているのは、 紛れもなく、増村によるところの力が大きい。 間違っても、単なるお色気映画ではないし、 男に食い物にされるだけのかよわい女像には程遠く、 他の増村作品同様の強い女を演じている。