ろぐでなし VOL.44特集

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.44 秋を嗅ぐ

やはり、秋はいい。いいのだ、秋。 そんなことを静かに噛み締めながらも、 やはり、モノには道理、そして移ろいがあり、 それを感じることは幸せなことであり、 それを感じ取れる日本という国が年々愛おしくなっている。 幸い、ようやく、不穏な空気、気配が開けそうな世の夜明けを横目に 希望のわく、そんな思いと、少し憂いを滲ませるという相反する 複雑な思いもかくさずに、サウダージな詩的なひとときを 言葉に託したいと思う。

「ルイジ・ギッリ 終わらない風景」展アート・デザイン・写真

「ルイジ・ギッリ 終わらない風景」展のあとに

ルイジ・ギッリの写真には、何も言わずに、 ぼくらの眼球をそっと、自然に振り向けるそんな導きがある。 優しさなのか、それとも厳しさゆえか、あるいは諦観なのか。 それは「写真」という形式を借りた言説行為であり、 それ以上に「見ること」そのものを問い直すメディテーションに思えてくる。

Dream Guide to the music音楽

架空のサウンドトラック、夢先案内映画音楽特集

架空の映画サウンド・トラックといえば、 ムーンライダースの名盤『CAMERA EGAL STYLO/カメラ=万年筆』が 真っ先に思い浮かぶ。 いかにも映画好きによる、贅沢な趣向が反映されている。 まさにドストライクなラインナップがずらり並んでいる。 そのアルバムを筆頭に、シネフィルたちの夢を載せて、 そのテイストが滲み出る楽曲にスポットライトを当てて、 このコラムの最後を飾ろう。

夏の終わり音楽

夏の終わりのECM特集

ECMを代表するぼくの大好きなミュージシャンたちも歳をとり、 たくさん並ぶECMのランナップのなかにも、知らない名前、 これまでにない傾向の音楽も混じっているが、 あるときは、そのジャケットイメージから、 あるときは、なんの情報もなくまったく不意に、 そして、なにか引っ掛かる思いを辿って聞く一枚一枚。 どれをとっても、基本的にハズレがない。 マンフレット・アイヒャーの求める、気高い音楽が、 宝石のように最高の録音物として収録されている。

音楽

坂本龍一を偲んで

坂本龍一が歩いたフィールドの広さ、 そしてその量、奥行きの前に立ち尽くすと どこから、どう入っていけばいいのか、 正直、考えているうちに時間だけが過ぎてゆく。 それほどまでに膨大で、広い。 冷静に、振り返ってみると、その仕事量のなかで、 教授のアレンジャーとしての才能、そして器、 数々のその輝ける功績、足取りを、追ってみることが まずは坂本龍一という人を理解するに、もっとも近いのかもしれないと思い立つ。 あえて、裏方業ともいうべき地味な編曲者・アレンジャー坂本龍一として その偉大なる軌跡に寄り添ってみる、 その思いを追悼の思いとして、遅ればせながら書いてみたい。

高橋幸宏 1952.6.6. - 2023.1.11.音楽

高橋幸宏を偲んで

高橋幸宏が亡くなって早2年。。。 回想ひとつできず、ダラダラ時間だけが過ぎていった。 その間も気がつけば彼の音楽を、普通に聴くことは何度もあるし、 正直、いまも生きているような錯覚さえ覚える。 そう、すっかりとこびりついたユキヒロ節の声が懐かしい。 そして、あの隙のないタイトなリズムを忘れることはない。 そんな偉大なるアルチザンであり、ポップメーカーをたたえる時間。 ようやく、そんなタイミングがきた。

Erik Satie 1866-1925音楽

エリック・サティ没後100周年をめぐって

エリック・サティという作曲家については 名曲「ジムノペディ」が世に知られてからは なかにはロマンティックで崇高な作曲家として 認識されている人がいるかもしれないが、 生前は仲間内意外に、ほとんど知られてはいなかったし 不遇な一生を終えた人物である。 おかげでどこか風変わりな人として、その逸話が一人歩きするような そんな異端の作曲家なのである。

浜辺のサヌカイト 2023 土取利行映画・俳優

土取利行『浜辺のサヌカイト』をめぐって

そんな石に耳を澄ませる文学者がいたとすれば、 その響きを実際に奏でる音楽家がいる。 香川県多度津町に生まれた土取利行である。 彼はミルフォード・グレイブスに師事したフリージャズのドラマーであり、 デレク・ベイリーやスティーブ・レイシーらと共演するかたわら、 同時に世界の民族音楽を歩いたフィールドワーカーであり、 日本近代の大衆歌を掘り起こした研究者でもあるのだ。 だがその活動の中でとりわけ特異なのは、 サヌカイトという不思議な石との出会いだろう。

お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました 2015 遠藤ミチロウ映画・俳優

遠藤ミチロウ『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』をめぐって

その昔、日本のパンクシーン、伝説的存在であった あの「スターリン」を率いていた遠藤ミチロウが、 還暦こそは超えたものの、古希の壁はついぞ超えられず、 昨年ガンで亡くなったことはすでに知っていたのだが バンドを離れてアコースティックギター一本担いで、 アンプラグド・パンクロッカーとして、 全国を津々浦々を行脚する旅を続けるソロ活動に勤しんでいたことに、 今更ながらではあるが、さほど気にも留めずいたことが、 なんだかちょっと罪深いことのように思えてきた。 一回は足を運んでおけばよかったと、後悔の念がこみ上げてくるのだ。

John Lydon映画・俳優

タバート・フィーラー『The Public Image Is Rotten』をめぐって

パンク、ニューウェブ以降のミュージシャン、 つまり、リアルタイムで聴いてきたミュージシャンの中で、 ジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)ほど魅力のある、 同時に波乱万丈で、社会や時代に爪痕を残してきた存在はいないと思う。 兎にも角にも、人騒がせでありながらも、カリスマ性を誇り 時にピエロのように、時にコメディアンのように 何より皮肉やで、野心家で、それでいて究極のエンターテイナーとして われわれを楽しませてくれるアーティストはそうはいない。 彼は口先だけではない、ロック界の真のイノベーターだったのだ。