ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.46 冬支度
たしかに、冬は家から出たくなくなるし、 おのずと行動範囲が狭まったりもするが、 逆に、その分、好奇心がどこからともなくわいてきて いてもたってもいられない感慨にも襲われる。 来るべき春への準備とともに、 自分のなかに、なにか大切な思いを育む季節でもあるのだと思う。
アート・デザイン・写真たしかに、冬は家から出たくなくなるし、 おのずと行動範囲が狭まったりもするが、 逆に、その分、好奇心がどこからともなくわいてきて いてもたってもいられない感慨にも襲われる。 来るべき春への準備とともに、 自分のなかに、なにか大切な思いを育む季節でもあるのだと思う。
映画・俳優両親共々、富山県人で、 僕自身、小さい頃から北陸には何かと縁があり 新幹線よりもなにより“雷鳥(現サンダーバード)”によく乗った記憶が先立ち、 あの北陸なまり、独特の富山弁にも随分愛着があって それらの印象が今なお皮膚感覚でしみこんでいる。 いうなれば、ルーツともいえる地、それが北陸だ。 だが、越中強盗、加賀乞食、越前詐欺師。 これが俗に言う北陸人の気質らしい。 そんな物騒なことは、これまで微塵も感じたことはなかったが、 深作欣二の『北陸代理戦争』での幕切れとともに流れる 「共通しているのは生きるためにはなりふり構わず、手段を選ばぬ特有のしぶとさである」というナレーションに聞こえてくるように、 そういうところがあるのかもしれない。 そのあたりの考察をふまえて、映画を語ってみよう。
アート・デザイン・写真最近、自分が撮りだめたスナップ写真を整理して 一冊の本「On the road」としてまとめた。 あるとき、偶然別の写真家の作品にふれたとき その触感がなぜか驚くほど似ているかもしれない、と思えたのだ。 それがエルンスト・ハースとの出会いである。 ハースは写真家でありながらも、 その写真が美術の領域にまで通底していることもあり そのスタンスに重なる視点を見いだすには、さして時間はかからなかった。 実際、抽象画と呼んでも良いような写真がいくつもある。 日頃僕自身が取り組んでいる作品に類似するものも随分見られた。 ただ、それまで、ハースという名前ぐらいしか知らず 存在が長い間漏れており、 当然、意識することも、影響すらも受けずきたことが なんとも不思議な気がするくらい、じつに奇妙な親近感を覚えるのだ。
映画・俳優勝新太郎が1989年に撮った『座頭市』。 文字通りのラスト座頭市であり、 73年、自身の勝プロで『新座頭市物語 笠間の血祭り』を撮って以来 十六年ぶりに完全復活を果たし、 勝新が最後にメガフォンをとった作品としてシリーズ最終作であると同時に、 のちに訪れる破滅と影を予告する、 奇妙に澄んだ悲劇性をも帯び、いろんな意味で呪われた映画だ。
未分類ダルテンヌ兄弟による映画『ロゼッタ』の主人公ロゼッタが 最後に嗚咽する涙に、少し救われた思いがするのは そうした事情映画からなのかもしれない。 人間らしさ、とでもいうのだろうか。 アル中で生活難、しかも、セックス依存で 身体を売るしか能の無い未来がない母親との生活の中で ただ、普通に暮らしたいという思いから、 必死に仕事を求めて、格闘する姿を一方的に見せてゆくロゼッタ。 映画は、この孤立無援の娘への憐憫を募らせはするが、 一方で、優しく寄りそうおうと手をさしのべてくれる天使 リケでさえも邪険にされるのだから、やれやれ 困ったものである。
映画・俳優よさこい節のフレーズにも入っている、高知のはりまや橋で ひとりの少年が行き交う車を見定め、身体を張ろうとしている。 ドライブレコーダー搭載の自動車が当たり前の現代社会に かつては当たり屋なんていうベタな稼業が横行していたのだと いまの若い人たちは知らないかもしれない。 いうなれば、詐欺である。 いちゃもんをつけ、カネをせびる。 かつて、反社なひとたちがよくやっていた手口だが それを家族をあげてやっていたという実話を映画化した作品で、 大島作品の中でもぼくが好きな一本『少年』である。
映画・俳優霧が降りた朝、何も見えない世界から、 その小さな足で踏み出す異母姉弟ヴーラとアレクサンドロス。 父を探すと言って祖国ギリシャから ドイツへと向かう列車へ無賃で乗り込み、最初の一歩に抱き合う。 だがおそらく、観客は最初から気づいているにちがいない。 彼らが探しているものは、実在しないかもしれないのだと。 あるいは、最初からそれは存在しなかったのかもしれないのだと。 まるで霧の中に見えない“神話の国”を求めるようにして ひたすら歩き続けるしかない姉弟の過酷なロードムービーの始まりである。
アート・デザイン・写真北欧のフェルメールなどと、なんとも安易な形容が付いてはいるが その絵を見つめていると、あながち、的外れでもないなと思えてくる。 デンマークの画家ヴィルヘルム・ハマスホイの室内画に惹かれている。 その静謐さ、ミニマリズムはもちろん その内向性ゆえの思いを秘めた気配に、 なにか、そそられるものがあるからだろうか?
映画・俳優デヴィッド・リンチの名を聞くだけで、 ぼくらは漆黒の闇に沈む悪夢のような世界を思い浮かべてしまうのだ。 『イレイザーヘッド』の胎児的恐怖にはじまり 『ブルーベルベット』の倒錯したフェティッシュ、 『エレファントマン』の残酷で聖なる奇形児の宿命を、 あるいは『マルホランド・ドライブ』の多層的幻影を思い出すからだが、 現実の裏側に潜む狂気を覗き続けた男、それがリンチという作家である。 しかし、そのリンチが、あえてそれまでの暗黒世界を封印し、 ひとりの老人の穏やかな旅を描いた映画がある。 1999年の『ストレイト・ストーリー』。 これは、上記の作品にはない、 リンチという作家の“優しさの核”をむき出しにした、 実に稀有な一本であるといえるだろう。 正直に告白すれば、映画としては 自分にとってリンチはこの一本でも十分なのだ。
アート・デザイン・写真風の吹くフランス南東部、ドローム県オートリーヴ村に、 かつて、ひとりの郵便配達員が築いた奇跡がある。 その男とはフェルディナン・シュヴァルという、 十九世紀末、文字どおり“石を積む”ことで夢を現実に変えた男だ。 彼の建てた理想宮(Palais Idéal)が、建築である前に いまも一篇の詩としてそびえ立っていることに驚きを禁じ得ない。 それは、彼の人生そのものが凝縮されたひとつの祈りとして、 愛、誠実さ、そして永遠への憧憬の結晶を打ち立てた物語である。

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