ろぐでなし VOL.44特集

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.44 秋を嗅ぐ

やはり、秋はいい。いいのだ、秋。 そんなことを静かに噛み締めながらも、 やはり、モノには道理、そして移ろいがあり、 それを感じることは幸せなことであり、 それを感じ取れる日本という国が年々愛おしくなっている。 幸い、ようやく、不穏な空気、気配が開けそうな世の夜明けを横目に 希望のわく、そんな思いと、少し憂いを滲ませるという相反する 複雑な思いもかくさずに、サウダージな詩的なひとときを 言葉に託したいと思う。

音楽

秋とともに、ミュージック実行委員会  MIDNIGHT編

だんだん昼が短くなってきたと痛感する今日この頃。 まだまだ冬は来てほしくないと思うのだが、 昼間の暖かさから、我に帰るかのように、 朝夕のぐっと冷え込んだ温度に、なぜだがほっとするのはなぜだろう? 昼に聞く虫の音と夜のそれではまったく違うのだ。 どこか、太古の記憶さえ地続きで引っ張り出されそうなほどに 秋の夜は、どこか記憶の奥深くに通底しているように思えてならない。

夜のにじみ音楽

秋とともに、ミュージック実行委員会  NOCTURN編

だんだん昼が短くなってきたと痛感する今日この頃。 まだまだ冬は来てほしくないと思うのだが、 昼間の暖かさから、我に帰るかのように、 朝夕のぐっと冷え込んだ温度に、なぜだがほっとするのはなぜだろう? 昼に聞く虫の音と夜のそれではまったく違うのだ。 どこか、太古の記憶さえ地続きで引っ張り出されそうなほどに 秋の夜は、どこか記憶の奥深くに通底しているように思えてならない。

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実 2020 豊島圭介文学・作家・本

豊島圭介『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』をめぐって

11月25日、この日がいったい何の日か、 即答出来る日本人もだんだん少なくなってきたのではないかと思う。 かくいう自分もその日の出来事があった当時のことは 生まれていたとはいえ、認識は随分遅かった。 こどもに到底理解できるような話でもないわけだが、 まさに、歴史上の出来事として、無視することはできない 昭和の忘れざる一日であることは間違いないところ。

清作の妻 1961 増村保造映画・俳優

増村保造『清作の妻』をめぐって

なんども観ても、この作品は素晴らしく、そして凄い。 戦争の茶番劇、メロドラマだとして甘くみるならば たちまち大火傷してしまうことになるであろう、 まさに愛をめぐる映画として胸打つ傑作である。 愛の純粋性が、狂気と表裏一体であることが核として描かれており それは表層の戦争批評への眼差しにもかぶってみえる。 が、テーマはそこにはない。 圧倒的なまでに、女の意志がみなぎっているヒロインで、 そこが彼女の本質ではないかと直感するがゆえに より、感動的なまでに感銘を受けてしまうのだ。 そんな『清作の妻』について書いてみたい。

ファンタスティック・プラネット 1973 ルネ・ラルーアート・デザイン・写真

ルネ・ラルー『ファンタスティック・プラネット』をめぐって

フランス人SF作家ステファン・ウルの原作『オム族がいっぱい』を元に、 ローラン・トポールのシュールレアリスティックな絵を ルネ・ラルーとともに映像化したカルトアニメーションである。 そして全編を覆うアラン・ゴラゲールのプログレ的電子サウンドによって、 なお一層カルト色を強めている。 我が国では宮崎駿などが多大な影響を受けており、 支配/被支配の構造、知識の取得・転用の描写、 他者性・異種存在から解放/共存といったテーマの流れは 『風の谷のナウシカ』にも顕著にとりこまれている。 元祖『進撃の巨人』などというキャッチが踊るが、 どちらかといえば、中世の異端画家ヒエロ二ムス・ボスが描いた 『快楽の園』の世界感にも比較され、そのほうが理解しやすいかもしれない。

今道子 繭少女 2017 ゼラチン・シルバー・プリントアート・デザイン・写真

今道子の写真をめぐって

食べ物を粗末にするな、とは 日本人なら、むかしからよくいわれてきたことである。 テレビ番組などで、食べ物を使ってふざけ合うコントのようなシーンを放映すると 必ずクレームが入ったとはよく聴く話。 そうしたモラルの是非はおいておくとして、 それが芸術なら許されるか? という点において、 今回、そこを問題提起したいわけでもなく、 ひたすら、その世界観に魅せられるという想いから、 純粋に写真家今道子による作品について、触れてみたい。

秋が来るとき 2024 フランソワ・オゾン映画・俳優

フランソワ・オゾン『秋が来るとき』をめぐって

秋は何かが実るときであり、同時に消えてゆく季節である 何かが移り変わろうとするには、ちょうどいい頃合いである。 それは、静かに朽ちゆくものの中から、 なおも命を繋ぎ止めながら、 なにかを育くもうとするタイミングというべきかもしれない。 フランソワ・オゾンの新作『秋が来るとき』は、 そんな“生の発酵”のような時間を描いてはいるのだが、 ひとくせふたくせもあるオゾン映画が 平穏に、ただ事で過ぎゆくとは思えない。 とにもかくにも、オゾンは期待を裏切らない。

《Return to Reason/リターン・トゥ・リーズン》 film by MAY RAY Music by SQÜRLアート・デザイン・写真

マン・レイのサイレント映画をめぐって

かれこれ、一世紀も前の人だが、ぼくはマン・レイのもつ自由さ、 永遠のアマチュアリズム、実験精神と遊び心を併せもった姿勢に 時代を超えて、すごく親近感をもってきた。 そのあたりは、“生粋の駄々っ子”たるマン・レイと賞賛しつつ、 すでに「マン・レイという芸術家」でその想いを綴った。 ここでは、そのマン・レイが残したサイレント映画を取り上げてみることにする。 それらの短編を、あのジム・ジャームッシュが 『RETURN TO REASON/リターン・トゥ・リーズン』として ジャームッシュ作品のプロデューサーでもあるカーター・ローガンとの2人組 音楽ユニット、スクワール(SQÜRL)が音をつけたプロジェクト映画だ。