ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.46 冬支度
たしかに、冬は家から出たくなくなるし、 おのずと行動範囲が狭まったりもするが、 逆に、その分、好奇心がどこからともなくわいてきて いてもたってもいられない感慨にも襲われる。 来るべき春への準備とともに、 自分のなかに、なにか大切な思いを育む季節でもあるのだと思う。
アート・デザイン・写真たしかに、冬は家から出たくなくなるし、 おのずと行動範囲が狭まったりもするが、 逆に、その分、好奇心がどこからともなくわいてきて いてもたってもいられない感慨にも襲われる。 来るべき春への準備とともに、 自分のなかに、なにか大切な思いを育む季節でもあるのだと思う。
映画・俳優よさこい節のフレーズにも入っている、高知のはりまや橋で ひとりの少年が行き交う車を見定め、身体を張ろうとしている。 ドライブレコーダー搭載の自動車が当たり前の現代社会に かつては当たり屋なんていうベタな稼業が横行していたのだと いまの若い人たちは知らないかもしれない。 いうなれば、詐欺である。 いちゃもんをつけ、カネをせびる。 かつて、反社なひとたちがよくやっていた手口だが それを家族をあげてやっていたという実話を映画化した作品で、 大島作品の中でもぼくが好きな一本『少年』である。
映画・俳優霧が降りた朝、何も見えない世界から、 その小さな足で踏み出す異母姉弟ヴーラとアレクサンドロス。 父を探すと言って祖国ギリシャから ドイツへと向かう列車へ無賃で乗り込み、最初の一歩に抱き合う。 だがおそらく、観客は最初から気づいているにちがいない。 彼らが探しているものは、実在しないかもしれないのだと。 あるいは、最初からそれは存在しなかったのかもしれないのだと。 まるで霧の中に見えない“神話の国”を求めるようにして ひたすら歩き続けるしかない姉弟の過酷なロードムービーの始まりである。
アート・デザイン・写真北欧のフェルメールなどと、なんとも安易な形容が付いてはいるが その絵を見つめていると、あながち、的外れでもないなと思えてくる。 デンマークの画家ヴィルヘルム・ハマスホイの室内画に惹かれている。 その静謐さ、ミニマリズムはもちろん その内向性ゆえの思いを秘めた気配に、 なにか、そそられるものがあるからだろうか?
映画・俳優デヴィッド・リンチの名を聞くだけで、 ぼくらは漆黒の闇に沈む悪夢のような世界を思い浮かべてしまうのだ。 『イレイザーヘッド』の胎児的恐怖にはじまり 『ブルーベルベット』の倒錯したフェティッシュ、 『エレファントマン』の残酷で聖なる奇形児の宿命を、 あるいは『マルホランド・ドライブ』の多層的幻影を思い出すからだが、 現実の裏側に潜む狂気を覗き続けた男、それがリンチという作家である。 しかし、そのリンチが、あえてそれまでの暗黒世界を封印し、 ひとりの老人の穏やかな旅を描いた映画がある。 1999年の『ストレイト・ストーリー』。 これは、上記の作品にはない、 リンチという作家の“優しさの核”をむき出しにした、 実に稀有な一本であるといえるだろう。 正直に告白すれば、映画としては 自分にとってリンチはこの一本でも十分なのだ。
アート・デザイン・写真風の吹くフランス南東部、ドローム県オートリーヴ村に、 かつて、ひとりの郵便配達員が築いた奇跡がある。 その男とはフェルディナン・シュヴァルという、 十九世紀末、文字どおり“石を積む”ことで夢を現実に変えた男だ。 彼の建てた理想宮(Palais Idéal)が、建築である前に いまも一篇の詩としてそびえ立っていることに驚きを禁じ得ない。 それは、彼の人生そのものが凝縮されたひとつの祈りとして、 愛、誠実さ、そして永遠への憧憬の結晶を打ち立てた物語である。
映画・俳優クシシュトフ・キェシロフスキによる『ふたりのベロニカ』には ポーランドとフランス、この二拠点それぞれに生きる若い女性がいる。 ふたりは面と向かい合うことはないが、見えない糸で繋がっている。 しかも、同じ時刻に生まれ、名前も見た目も瓜二つ。 そんな透明な糸が、互いに知らぬ者同士を天上から操るかのように、 運命の鼓動を、どこかで虫の知らせのように鳴らしはじめる。 そんな偶然を、声ではなく、光でもなく、 まずは音楽によって雄弁に語り始める、異様なまでに繊細な物語にせまってみよう。
映画・俳優家族の数だけ“家”の物語がある。 誰もが抱える、身近で大切な共同体である家族が 愛ゆえに人を見守り、互いに支え合うという神話も どこか、希薄なまでの薄っぺらさばかり露呈されがちな現代社会において、 ラッセ・ハルストレムがハリウッドで手がけた最初の作品 『ギルバート・グレイプ(原題:What's eating Gilbert Grape)』には その綾を縫いながらも、家族の絆、つながりが描き出されている。 そこには痛みを通して、前に進まずにはいかない物語が ある種の通過儀礼として描き出されている。
映画・俳優今日のようなストーミング社会はいったんおいておいて もしもこの世に、映画館なる至宝の闇空間がなかったなら そこに、見せもの小屋のような存在がかえって繁盛するのかもしれない。 妖しげで希少価値のある場所。 そこに見合うプログラムだが、なにげなく禁断の匂いが立ち上りさえれば、 甘い樹液を求む昆虫たちのように、自ずと人は集まってくるかもしれない。 その際、真っ先にこの鈴木清順の出し物こそが 生き生きとその臨場感を醸し出してくれるであろうことはお約束できる。 実際に、プロデューサーのふとした思いつきで 巨大なテント会場での公開となったのが『ツィゴイネルワイゼン』なのである。 配給業者も興行者もいない、文字通りの芝居じみた興行こそが この映画の本質には相応しいのだ。
映画・俳優粋な映画とは、このことをいうのだと言わんばかりの作品がある。 ロベール・アンリコ監督による『ラムの大通り』のことだ。 ベティちゃんこと、かのベティ・ブープ(元祖BB?)のモデルの1人 1920年代当時の“セックスシンボル”であった女優 クララ・ボウをイメージしたというのだが、 こちらもそのセックスシンボルの系譜で一世風靡した、 フランスの恋多き女優ブリジット・バルドー(こちらもBB)が リノ・ヴェンチュラを虜にしてしまう銀幕の女優として登場するのだ。

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