ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.41 ポストパンデミック後編:シネマでぶらり、映画鑑賞特集映画・俳優

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.41 ポストパンデミック後編:シネマでぶらり、映画鑑賞特集

コロナ禍においては、色々な制限が課されていたこともあり、 映画館へ足を運ぶ機会も意欲も、ずいぶん減ってはいたが、 最近では、気分的にも大きなスクリーンで集中してみる映画体験を 積極的に回帰している自分がいる。 とはいえ、映画を見たい、手軽に見たいという欲望が無くならないが故に、 ストリーミングに頼るという生活もまた、なくなる事はない。 作品を何度も見直すことができるし、 どこでもかからないような、貴重な作品さえも手が届く。 何より、映画を愛するものにとって有難いまでの仕組みが多く提供されている。 いずれにせよ、1本の映画作品の価値は、 形態や見方を変えても変わるわけではない。 その本質を見落としてしまえば、単なる時間の消費に過ぎなくってしまう。

アート・デザイン・写真

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.40 ポストパンデミック前編:アートでぶらり、美術鑑賞特集

絵を描くことは実に楽しい時間なのだが、 それと同時に、他人が描いた絵を見るのも、 これまた楽しいものである。 人間の個性とはつくづく、その人にしか宿らないことを教えられる。 絵は言葉とは違うものの、それでも人間性が如実に現れる。 アートとひとことでいっても、落書きもあれば、ファインアートもある。 また、コテコテの現代美術やコンセプチュアルアートまで、実に多種多様だ。 それこそ名の知られた画家の作品はいざしらず、 近頃では、素人画家や日曜アーティストにとって、 表現の場はいくらでもあるし、そのメディアもさまざまである。 デジタルを使えば、瞬間的なアートがその場で生成されてしまう時代だ。

関心領域 2023 ジョナサン・グレイザー映画・俳優

ジョナサン・グレイザー『関心領域』をめぐって

ジョナサン・グレイザー監督による映画『関心領域』は、 アウシュヴィッツ強制収容所の隣に暮らすナチス高官一家の“日常”を描くという、 一見しただけではそのショッキングさよりも、静かな作品としての印象が先にある。 しかし、その沈黙のなかには、叫びよりも激しい告発がひそんでいる。 映画史上、最も過酷な問いを最も平静なかたちで突きつけた本作は、 単なる過去への凝視ではなく、現代における無関心の構造を解き明かす寓話として 読まれうるべき作品として、強烈なメッセージを発している。

夜明けのすべて 2023 三宅唱映画・俳優

三宅唱『夜明けのすべて』をめぐって

原作は未読だが、瀬尾まいこ『夜明けのすべて』、小説の映画化である。 NHKの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」で夫婦を演じた二人、 松村北斗と上白石萌音による主人公の男女山添孝俊と藤沢美紗は、 それぞれパニック障害とPMS(月経前症候群)を抱えている。 内容は、心の奥底に秘めた「生きづらさ」とどう向き合うか、 対人との向き合い方や、コミュニケーションのとり方についての 深い考察映画とも言えるだろうか。 そんな二人が、とある職場で出会い、絡んで、 いったいどんな物語が語られるというのか?というと そこにとくに事件性のようなものもなく、 定番の恋愛絡みのストーリー、というわけでもない。 お互い感情におぼれることなく、かといって、 よそよそしくならず、ぎこちなさを避けるように、 その境界線を、うまく練り歩きながら描いている点に共感を覚える映画だった。

哀れなるものたち 2024 ヨルゴス・ランティモス映画・俳優

ヨルゴス・ランティモス『哀れなるものたち』をめぐって

エマ・ストーンが演じるベラ・バクスターは、 死体の身体に胎児の脳を移植された再構成された、 いうなれば人の形を残した怪物だ。 その設定だけを見れば、ネオフランケンシュタイン的な話だが、 本作が行き着く先は単なるホラーでもSFでもなく、 むしろ、快楽、自由、知、そして他者との関係性を通して、 自己が自己であるための条件を問いなおす"存在論的ラブストーリーを生き 目覚めたひとりの女性の物語である

正欲 2023 岸善幸映画・俳優

岸善幸『正欲』をめぐって

原作朝井リョウによる岸善幸の映画『正欲』では 5人の登場人物が「なにをもって正解とすべきか」「マイノリティとは何か?」 といういかにも現代社会が抱える問いをめぐって 複数の視点が静かに交差する群像劇を描いた映画になっている。 ここには声高に何かを訴えたり、観客の感情を煽るような派手な演出はなく、 それなのに、観終わったあとには、胸の奥に何かがずっと残る。 何が正しくて、何が間違っているのか? その問いを、言葉ではなく映像と沈黙で投げかけてくる。

宮松と山下 2022 五月(関友太郎、 平瀬謙太朗、 佐藤雅彦)映画・俳優

5月『宮松と山下』をめぐって

短くなれば、その分余計なものは削ぎ落とさねばならない。 その意味で、映画『宮松と山下』は見事なまでにセリフが少ない。 よって、85分というのは出色の長さゆえ、安心できる。 それだけで見たくなってくるというものだ。 もちろん、それは単に後付けの口実にすぎないのだが、 その分、実際、この映画にはなにかとそそられるところが多い。 まず、説明的な映画ではなく、過剰なシーンも無い。 そして、示唆的であるということだ。

蛇の道 2024 黒沢清映画・俳優

黒沢清『蛇の道』をめぐって

そのセルフリメイク版は、その名のごとく、一本の直線ではなく、 くねり、迷い、絡まりながら進む不可解な道のりを辿る映画であり、 不条理なドラマである。 1998年のオリジナル版は、ジャンル映画の装いをまとった、 玉石混交のVシネの自由さと制約の狭間に 生理的な不快感をともなう構造的サスペンスを持ち込んだ。 2024年のリメイク版は、その構造さえ疑いながらも、 舞台をパリに移しての、新たな喪失と空白を埋める物語を演出している。

胸騒ぎ 2022 クリスチャン・タフドルップ映画・俳優

クリスチャン・タフドルップ『胸騒ぎ』をめぐって

ヨーロッパ発の異色スリラー『胸騒ぎ(英題:Speak No Evil)』は、 観る者の胸に生理的な不快を残すバッドエンドな 「胸糞映画(一般には今年最も不穏な映画)」として話題をさらった。 ちなみに2024年にはハリウッドで 『スピーク・ノー・イーブル 異常な家族』としてリメイクされている。 日本語のタイトル「胸騒ぎ」を見て、 上手くつけたものだと感心したものだが とはいえ、誰かに勧めたくなるようなたぐいの映画でもないし、 かといって、みるに値しないと唾棄すべき作品だというものでもない。 この映画から、人は何を感じ、何を学習すべきか、 そんな視点をもって、この不快さにおぼれない程度の良識をもって ここはひとつ思慮深く受け止めてみるとしよう。

「碁盤斬り」2024 白石和彌映画・俳優

白石和彌『碁盤斬り』をめぐって

その一方で、この白石和彌監督の『碁盤斬り』は、 江戸情緒を漂わせ、武士道たる死の美学をちらつかせながら、 硬質で静謐な映像に、怒りにも似た倫理的な問いながらに、 異色の時代劇へと押し上げることに成功している。 主演元SMAPの草彅剛が、ここでは脱アイドルの完了形として、 演技における沈黙と間の巧みさ、 言葉を選ぶように語る誠実な声によって、 「語り」の本質を体現しているかのようにみえる。 そこは、ただの演技巧者というより、 どこか“語り部”のような存在として、浪人を体現している。 それは、語られざる誇りと、語りえぬ悔しさ両方を滲ませ臨む 男の美学、すなわち武士の覚悟そのものである。 碁盤という網の目に移し、静かに白黒をつけんとする姿勢は 最後、格之進が振り下ろした刀の結末として だからこそ、いっそう清々しさを禁じ得なかったのである。

花腐し 2023 荒井晴彦映画・俳優

荒井晴彦『花腐し』をめぐって

『花腐し』と書いて(はなくたし)と読む。 『赫い髪の女』や『嗚呼!おんなたち猥歌』など 神代辰巳の映画脚本で知られる荒井晴彦の監督作品である。 その意味はというと、 せっかくきれいに咲いた卯木の花をも腐らせてしまうという、 じっとりと降りしきる長雨のことなのだそうだ。 なかなか風情漂うタイトルである。 劇中にも雨のシーンが度々あって、 そのシーンがなんとも良いのだ。