ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.46 冬支度
たしかに、冬は家から出たくなくなるし、 おのずと行動範囲が狭まったりもするが、 逆に、その分、好奇心がどこからともなくわいてきて いてもたってもいられない感慨にも襲われる。 来るべき春への準備とともに、 自分のなかに、なにか大切な思いを育む季節でもあるのだと思う。
アート・デザイン・写真たしかに、冬は家から出たくなくなるし、 おのずと行動範囲が狭まったりもするが、 逆に、その分、好奇心がどこからともなくわいてきて いてもたってもいられない感慨にも襲われる。 来るべき春への準備とともに、 自分のなかに、なにか大切な思いを育む季節でもあるのだと思う。
文学・作家・本本作は澁澤集大成の幻想小説であり、 同時に仏教的寓話を含む、博物誌的異界譚である。 だが、それらはいずれも副次的な呼び名にすぎない。 この作品の核心にあるのは、作家が自らの生をどう終わらせるかを、 物語という仮面の下で思索しきった痕跡ではないか、 などと考えるのである。
アート・デザイン・写真さて、そんなふくよかフェチに自信をもって紹介できる画家、 それがコロンビアの国民的画家フェルナンド・ボテロである。 本人の女性趣味までは知らないが、 名前からして、すでに十二分のふくよかさの気配が漂ってくる。 確かに、その極端にデフォルメされた画風に 好き嫌いは分かれるところであるが ボテロの絵を前にして、顔を背けるひとはそういないはずである。 丸い。大きい。そう、ふくよかなのだ。 ひと呼んでボテリズム。 その第一印象は、どこか無防備で、親しみやすく、可愛らしい。 だが、その愛嬌は知れば知るほどにそう長くは付き合えないかもしれない。
映画・俳優あれはユホ・クオスマネン監督『コンパートメントNo.6』と同じく90年代だった。 まだ携帯もSNSもない、前時代的な香りをどこかで残していた時代だ。 それでもヨーロッパ映画ではしばし、コンパートメントそのものが ドラマ性が滲む空間として記憶している。 ヴェンダースの『アメリカの友人』での列車内の壮絶な殺人、 ロブ=グリエの『ヨーロッパ横断特急』やブニュエルの『欲望の曖昧な対象』では 語り部の空間そのものとして使用されていたし、 あれはコンパートメントではないにせよ、 リンクレーターの『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』では ふたりの恋のきっかけがこの列車によって始まっていたのを思い出す。 そんなストーリーテラーには欠かせない空間においての ボーイミーツガール映画の顛末、はたして結末はいかに?
アート・デザイン・写真そんな思いを抱えながら、冬枯れの硯公園を抜けた世田谷美術館で 創設30周年を記念しての開催中の「つぐ minä perhonen」展へと足を運んだ。 ミナペルホネンは、北欧、とりわけフィンランドの空気をまとい ミナとは「私」を、ペルホネンとは「蝶々」を意味する ファッション・テキスタイルブランドである。 ここ、日本を拠点に、ひとつの職人文化を継承する、 そんな生産チームを形成している。 実はこのことが、生み出された生産物共々、興味深く そのブランドの魅力にもなっているのだと思う。
アート・デザイン・写真今日はクリスマス。 ということで、クリスマスにちなんだ映画を取り上げようと思う。 クリスマスのちなんだストーリーは、古今東西、 バラエティに富んではいるのだが、 個人的な一押しでいえば、 少し前のビリー・ワイルダーによる名作コメディ、 ジャック・レモン主演の『アパートの鍵貸します』か ハーヴェイ・カイテル主演、ウェイン・ワンの『スモーク』あたりがズバリなのだが、 ちょっと渋いところで、ジョン・フォード、ジョン・ウェイン主演の 『三人の名付け親』といきたいところだが、 今回取り上げるのはそのクリスマス西部劇から着想を得たという、 今敏による『東京ゴッドファーザーズ』というアニメだ。 この作品は映画という名のアニメであると同時に 単なるアニメ以上に見どころ満載の映画でもある。 実に興味深い現代的な視点がいくつも投与されているが、 シリアスすぎるでもなく、 かといって、コミカルなその場主義的な 単純な物語に収斂しない“心に残る”作品として、語りたい魅力がある。
映画・俳優両親共々、富山県人で、 僕自身、小さい頃から北陸には何かと縁があり 新幹線よりもなにより“雷鳥(現サンダーバード)”によく乗った記憶が先立ち、 あの北陸なまり、独特の富山弁にも随分愛着があって それらの印象が今なお皮膚感覚でしみこんでいる。 いうなれば、ルーツともいえる地、それが北陸だ。 だが、越中強盗、加賀乞食、越前詐欺師。 これが俗に言う北陸人の気質らしい。 そんな物騒なことは、これまで微塵も感じたことはなかったが、 深作欣二の『北陸代理戦争』での幕切れとともに流れる 「共通しているのは生きるためにはなりふり構わず、手段を選ばぬ特有のしぶとさである」というナレーションに聞こえてくるように、 そういうところがあるのかもしれない。 そのあたりの考察をふまえて、映画を語ってみよう。
アート・デザイン・写真最近、自分が撮りだめたスナップ写真を整理して 一冊の本「On the road」としてまとめた。 あるとき、偶然別の写真家の作品にふれたとき その触感がなぜか驚くほど似ているかもしれない、と思えたのだ。 それがエルンスト・ハースとの出会いである。 ハースは写真家でありながらも、 その写真が美術の領域にまで通底していることもあり そのスタンスに重なる視点を見いだすには、さして時間はかからなかった。 実際、抽象画と呼んでも良いような写真がいくつもある。 日頃僕自身が取り組んでいる作品に類似するものも随分見られた。 ただ、それまで、ハースという名前ぐらいしか知らず 存在が長い間漏れており、 当然、意識することも、影響すらも受けずきたことが なんとも不思議な気がするくらい、じつに奇妙な親近感を覚えるのだ。
映画・俳優勝新太郎が1989年に撮った『座頭市』。 文字通りのラスト座頭市であり、 73年、自身の勝プロで『新座頭市物語 笠間の血祭り』を撮って以来 十六年ぶりに完全復活を果たし、 勝新が最後にメガフォンをとった作品としてシリーズ最終作であると同時に、 のちに訪れる破滅と影を予告する、 奇妙に澄んだ悲劇性をも帯び、いろんな意味で呪われた映画だ。
未分類ダルテンヌ兄弟による映画『ロゼッタ』の主人公ロゼッタが 最後に嗚咽する涙に、少し救われた思いがするのは そうした事情映画からなのかもしれない。 人間らしさ、とでもいうのだろうか。 アル中で生活難、しかも、セックス依存で 身体を売るしか能の無い未来がない母親との生活の中で ただ、普通に暮らしたいという思いから、 必死に仕事を求めて、格闘する姿を一方的に見せてゆくロゼッタ。 映画は、この孤立無援の娘への憐憫を募らせはするが、 一方で、優しく寄りそうおうと手をさしのべてくれる天使 リケでさえも邪険にされるのだから、やれやれ 困ったものである。
映画・俳優よさこい節のフレーズにも入っている、高知のはりまや橋で ひとりの少年が行き交う車を見定め、身体を張ろうとしている。 ドライブレコーダー搭載の自動車が当たり前の現代社会に かつては当たり屋なんていうベタな稼業が横行していたのだと いまの若い人たちは知らないかもしれない。 いうなれば、詐欺である。 いちゃもんをつけ、カネをせびる。 かつて、反社なひとたちがよくやっていた手口だが それを家族をあげてやっていたという実話を映画化した作品で、 大島作品の中でもぼくが好きな一本『少年』である。

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