らくてん主義は
りくつで測るものじゃない
るーれっとのうえで
れっきとした
ろんりを導くのもよし
◆ラララジー男の生活スタイル
ラジオが素敵な楽器として使えることを世に知らしめたのは、クラウトロックの重鎮こと元カンのベーシスト、ホルガー・シューカイ。短波放送から流れてくるコーランを拾い見事楽曲にコラージュした「ペルシアン・ラブ」はもう不朽の名曲になっている。僕もまたラジオが大好き。とっくの昔から脱テレビ、ラジオ人間宣言をして暮らしてきたのですが、そんな人間を後押ししてくれる昨今、RADIKOって便利ですねえ。おまけに聞き逃しもできるんだからサイコー、最強のツールです。こうして、テレビなし、新聞読まず、インターネットオンリーの日常で、やはり生きた声やリアルタイムな情報は、生活の潤滑油ですからね。野球放送などもラジオの方が味があると思っているんです。映像がない分、想像力が必要になるところが良いのです。おかげさまで顔知らずの有名人が増えてしまいましたが・・・そこはネットを活用すれば問題はない。そうしてすっかりレディオ小僧は元気に生活できている。でも、一つだけ残念なことは、昔のラジオならチューナーのメモリを手で合わせるアナログ感がよかったんだけどなあ。そうしてテレビ中継後のナイターの結果などに、聞き耳をたてていた時代。あと、気象情報とか語学講座なんかにもハマった口。合わせる時のチューニングノイズって実にいいんだなあ。デジタル時代、一抹の寂しさは音が綺麗すぎることかな。まあ、贅沢なことを言っておりますがね。
◆らせんの殺し屋
うずまき、というのはなぜもあんなに魅惑的なのだろう。指紋、ぜんまい、バネ、貝殻、蔓科の植物、蝶の口、ヒチコックも「めまい」、バカボンのほっぺた、コルク抜き(ワインオープナー)、散髪屋にあるあの店先のグルグル。そ、ジャリへのオマージュであるコレージュ・ド・パタフィジックが設けた太鼓腹勲章のマークもうずまきだっけ。そして夏の風物詩でもある蚊取り線香。あれはほんとうまくできているなあ、と感心することがあります。朝起きて、トレイ(蚊取り線香のおトイレ?)の上にきれいな渦巻き状の跡が残っていたりしてなぜかニヤリ。とにかく、ミニマル曲線の美学、しかもあの優雅な時間軸にそって立ち上る紫苑の煙りにはらり、ぱらりと殺られちまうモスキーツ。手を汚さずになんともクールで繊細な殺しの奥義といったら、さすが身軽の吸血虫もなすすべがないようで。痒さの歯がゆさに対する人間の優雅な知恵の勝利じゃありませんか。
◆律動玉手箱
たまに耳すると俄然懐かしい思いがするのが昔のテクノポップ。そこで、テクノといえば、なんといっても、あのリズムボックスの音。これがなくちゃ始まりません。チャカポコチャカポコ。あの軽妙でおもちゃのようなリズムがたまりません。YMOは生とコンピューターの共存リズムだったけど、クラフトワークなんかはまさにリズムボックス主体のコテコテピコピコサウンド。リズムボックスというのは、れっきとした商標登録された商品名で、あくまで「リズムマシン」や「ドラムマシン」とは別個のものという意識なので、ここじゃそこをあえて強調しておきます。だからこそ、愛着というか、愛おしさがつのるのですね。昔は、エレクトーンなんかにリズムボックスの音が内蔵されていて、ワルツとかサンバとか、といったボタンを押すと、そのジャンルのリズムが即時再生されたのを覚えているのですが、そこから、リズムだけに特化した箱型の個体のリズムボックスが出てきて、あれは確かroland製だったか、CR-800かな、そいつを買い求めてしばらく遊んでいた記憶がありますね。
リズムボックスという響きが大好きなんですが、あえてひねって、律動玉手箱、そう呼んでおきましょうか。
◆ランチタイムビジーねす
弁当というと、“ほかほか弁当”なるものがあるとき出てきたのはいつだったっけか。近ごろじゃあコンビニ弁当が売れ残り、その廃棄問題などがニュースに取り上げられる時代。何れにせよ、すっかり「買う」という発想になっている気がします。それだけ需要があるわけですね。メニューにも日替わり弁当と銘打ったものをしばし見かけているしね。もちろん、基本自炊の僕だってときには利用だってしますよ。
たとえば、電車での旅には、駅弁がつきもの。うちの両親はふたりとも富山県人だったがゆえに、昔から鱒寿司弁当(ブリ寿司弁当もある)という、笹でくるまれ朱色の肌のぞく円形の弁当がなじみでして、好きですね。駅弁って地方色が反映されるものだから、日本全国を旅していればそれはそれで楽しいものでしょうね。
そして、日常では、遠足やピクニックにお弁当をもって出かける、というのは実に、平凡なようで、なかなかたいそうなことになっている気がします。お弁当というのは、ある意味、食卓のミニチュアであり、同時におかずを使ったデザイン(レイアウト)の場でもありますからね。そう考えるとモノ作りの延長で、手間ひまをかけて、かつ見た目を考えてというのは、なにも女の人だけが負う仕事じゃない気がします。実に楽しくやりがいはあるはずだけど、時間に追われてると、作る人にはそれなりのゆとり、思いがないとできないというのもわかります。だからこそ、愛妻弁当、あるいはママの愛情あふれる手作り弁当、というのはホント嬉しいものですよね。中身はなんだっていいんですから。さすがに今時日の丸弁当っていうことはないと思うけれど。
思えば、子供の頃にあったアニメのキャラクターのアルミ弁当箱が懐かしいなぁ、海苔が蓋に貼り付いてたりしてさ。あれはタイガーマスクだったか、巨人の星だったか、ひみつのあっこちゃんだったか、あしたのジョ-だったか、忘れましたが、非常に懐かしい感があります。
ちなみに、作ることになんら違和感がない「男」の手料理で、自分でもときどき作ったりします。まあ、不細工にできてもそれなりにおいしかったりしますね。その意味でやはり既成のものよりは自分でなんとかするというのが染み付いているのです。
◆路面電車のロマン族
もともと小さい頃から電車という乗り物が大好きで、ちんちん電車というか路面電車にはいまでもどっかぴくってな感じで惹かれるものがあるんですよ。母方の田舎は富山県高岡市というところで、駅前に路面電車が走っているんが焼き付いているし、今実家のあるオオサカには、阿倍野から住吉公園までの上町線、恵美須町から堺市の浜寺までの阪堺線が路面電車として走っていますね。阪堺一部が廃止になったとかで、さみしいです。うん、やっぱり残してほしかったな、こういう歴史あるモンたちはね。確か天下茶屋駅は成瀬巳喜男の「めし」なんかにもでてきたし、実に情緒があるんです。中学校のころよく乗ってましたねえ。なんかあのミニュチュアっぽい感じ、おもちゃみたいなところがいいですよね。ノスタルジーだけではかたづけられません。東京では都電荒川線がありますが、やっぱり情緒があって沿線の雰囲気もなかなか、ロマン掻き立てられるんです。荒川遊園はちょっとしたお気に入りスポットなんですよ。鎌倉には江ノ電があり、こっちももちろんいいですねえ、うん。。ちょうど小津安二郎や澁澤龍彦というヒトを偲んでよく出かけましたね。海だけじゃなく紫陽花の季節には特に情緒があって好きでした。どちらも甲乙つけがたい良さがありますが、ともあれ、路面電車のある町というのはやっぱりそれなりに雰囲気があっていいですね。
そういえば、藤田敏八監督の『妹』という映画では、ヒロインの秋吉久美子が湘南だったか鎌倉だったかから早稲田で兄が運営する食堂に出戻りしてくる話だった思うんだけども、ちょうど鎌倉の江ノ電と荒川線という路面電車のある町と町を結ぶ話で、それが記憶に残っております。
◆列車ガタゴト駅弁カタコト
旅をするなら飛行機よりも電車。これ基本。電車好きってのもありますがね、別に飛行機が嫌いなわけじゃないし、飛行機に乗らなきゃ異国の地を踏むのはなかなか大変なのは子供だってわかるはず。そんなことは言ってやしません。僕が電車を推す理由。それはまずは電車の窓から見る景色に心和むこと。日本海を臨みながら直江津から富山へと下る北陸線、そして何んと言っても富士を臨める新幹線は最高です。これらが目の保養になるってことと、なんて言ったって駅弁ですよ、駅弁。駅弁を買って電車に乗り込む。これが旅の醍醐味であり、電車旅の一番の楽しみと言ってもいいじゃないでしょうか。で、例えば、東京駅でどの駅弁にしようかな、と物色するだけでも実に楽しくって、それだけで時間が過ぎてゆくものです。電車に乗ってから買うのは野暮というもの。この駅弁を選ぶという時間がたまらなく好きなのです。
で、肝心のオススメ駅弁はございますか? と聞かれると困ってしまうものです。実はそんな多くの種類を知っているわけでも、試食したこともないのですから。それに駅弁の種類なんて実に多種多彩。幕内、輪箱飯、牛めし、とりめし、イナリやバッテラ。どれも甲乙付け難い。ま、しいてゆうなら、富山名産「鱒寿司」は昔から馴染みがあって好きですが、それよりも「鰤寿司」の方がさらに好き。ちょっとマイナーですけどね。ただし、円形のワッパの中で、ケーキやピザのように丸い寿司が入っていて、美味しいし、見た目もいいんですが、如何せん食べにくいのが玉に瑕。
◆レモン水を凝らす
水道水を直接飲む機会なんて、いま、ほとんどないですよね。でも子供の頃は別に気にせず、蛇口から直接飲んでいたけど、不思議におなかを壊した記憶なんて一度もないな。体育の時間が終わると、早く早くとみんなならんで蛇口の取り合いをした記憶が懐かしい。その一口がどれだけ美味しかったことか。
フランスなんかのレストランでは、Carafe『カラフ』という壜に水道水をいれて出してくれます。もちろんこちらはただです。アジア圏とちがい、お腹を壊したという話はあまり聞きませんが、別に美味いわけじゃない。まあ、水=ただ=当たり前、ではなく、心配なら優雅にミネラルウオーターを頼めばいいわけですからね。
夏というのは水一杯がとてもありがたい季節。氷入りの冷たい水なんて、咽ごしに命の源だと実感しますもの。例えば甲子園のかちわりは有名ですが、なんたって元は水ですからねえ。でもそれが炎天下で飛ぶように売れるんだから、水ってすごいね。命の源とはよくいったものです。
ちょっとカフェにはいっても、ありがたいことに、あたりまえに水が出てくるのが我がニッポン国の常識。その上、気の利いた店では、おいしい水だったり、レモン水だったりして、これだけでもカフェに入るかちがあったりしますね。まあ、これぐらいのサービスを提供しなきゃ、生き残れないのかもしれないけど。
そのうち、水だけのカフェ、っていうのができるかも知れないなあと。流行る流行らないはさておき、ありなんじゃないかな? 究極のロハスカフェ誕生というわけですぞ。
でもね、水がおいしいということは、案外、贅沢なことだと思うんですがね。水というのはある意味、生物の基本ですからね。といって、人間なら、味覚というものがあり、ただの水というだけでは満足しないところが確かにありますけれども。要するに物は考えようってやつだと思うんです。
ちなみに国語の本でも取り上げられていた記憶のある梶井基次郎『檸檬』という短編では、不安を抱えた主人公が、町を歩いていてたまたま見かけた八百屋で一個の個体の檸檬を買っていっときの幸福を噛みしめるわけですが、レモンというものには、憂鬱を払拭する不思議な効能がある、とまではいえないけれど、ある種の爽やかさを提供してくれることはどうやら間違いない。そんな紡錘形の黄色いレモンを輪切りに水に浮かべて、ワンランク上の水をゴクリ。そして頭を空にするというのも悪くはない。
◆わがタイガードラマ史
ナニワのシンボルはなんたって虎。コアなファンはトラキチとよばれ、これぞまさに人生一体型“体臭”文化ですね。そう、黄色と黒の縦じまこそが関西に育つ人間の根底にある何かをいいあてているような気がします。そういうわけで、こちとらトラッコでぇ、とばかりたとえそこがお江戸であっても野球は一生涯阪神ファン以外にあらずです。
ぼくらの子どもの頃の遊びといえば、ヤキュウぐらいしかなかった。サッカーはマイナーもマイナーでしたね。で、プロ野球選手というのは、花形でした。記憶に焼かれたトラの姿はというと、タブチ・エナツ、そしてミスターTはカケフでした。昨今の低迷ぶり、ファンのドラマはトラジックコメディのオンパレードかと思いきや、まあそれは根が陽気な関西人ですので、ちょっといいところをみせられれば、こらいけるでしかし、いけいけで、終わってみれば、また来年があるやん、ってな感じの輪廻転生を繰り返してきました。
とはいえ、年々野球そのものがつまらなくなっているのは確かで、さすがに純粋なトラキチの熱狂はいずこですけど、85年の優勝、さらに十八年後星野監督が甲子園に舞った姿が記憶のなかで焼き付いていますよ。そりゃあ凄かったなぁ・・・・
いまや、ヤンキースで活躍したゴジラ松井も昔は大のタイガースファンだったとか。近年のダメトラぶりで、さすがにかつてのように熱狂することはなくなりましたが、それでも四月の声とともにタイガースのことは気になります。昔は甲子園にはなんどもいきましたが、蔦の絡まったマンモススタジアムをみると高校球時でもないけれどもある種の感慨があっていいものだなあと思います。中に入ると天然の芝がカクテル光線を浴びた光景、雨をふくめばさらに美しいものですよ。昨今はドームばかりで、野球もずいぶん様変わりしましたねえ。でも、甲子園は永遠に長い歴史と共に、浜風がそよぎ土と人のにおいを受け継いでいってほしいですね。アンチドーム球場! 場所、空間、建築物として許せるのはいまは甲子園だけではにでしょうか。コンサートなどの併用で球場を使うのはやっぱりなんだかシラケます。そんな風に設計されていないでしょう・・・・・。ただ観衆を動員したいだけの御都合主義は嫌ですね。
勝手気ままなタイガースベストナイン(あまり芸がないか・・・)
- ライト 真弓 ナインきっての男前。先頭打者ホームラン連発が忘れらない。
- ショート 鳥谷 元祖トラの安打製造機鬼平に次ぐミスター名球会。
- ファースト バース 神様仏様バース様。最強助っ人ここにあり。
- キャッチャー 田淵 四番でキャッチャーのホームランアーティスト。世界の王に唯一迫った男。
- サード 掛布 かっかっかっか掛布さん。言わずと知れたミスタータイガース。
- セカンド 岡田 誰よりも阪神ファンのおっさん。ナニワの名物どんでん。
- レフト 金本 連続出場記録保持者、2000年代に欠かせぬFA戦士兄貴金本。
- センター 新庄 宇宙人と呼ばれた変わり者だが、あの守備力はすごかった。
- ピッチャー 江夏 全盛期は知らないが、やはり伝説のサウスポー。
- リリーフ 藤川球児 説明不要の火の玉ストレート。全盛期を知っているのは幸運だ。
- 代打 川藤 浪速の春団治。このおっちゃんはもはや特別枠と言っていい。
- 監督 吉田義男 ある意味ここが一番難しいが、唯一に日本一監督は外せないか。
◆Y字路帳を目を奪われて
唐突にY字路なんて言葉を持ち出したのは、画家横尾忠則がある時から始めたY字シリーズの連作がとても興味深かかったからだ。兵庫県西脇市出身の氏が地元で思いのあるY字路を絵にしたシリーズにはちょっとした衝撃が走った。何しろ、Y字路というものをこんな風に意識させられたことがなかった。こんなありふれた風景を絵にした人は氏をおいていないわけだし、それまでの作風からもちょっと想像がつかない方向性に出た、という意外性も手伝って、ますます横尾アートが好きになったシリーズでもある。鏡の前の自分を見つめるように、人は Y字路の前に立ち止まって考える。例えば、目の前に道が二手に分かれているとしよう。あなたは右と左、どっちへ進むか。まさに人生そのものじゃないか。横尾氏の解釈はそんな単純なものじゃないとは思うけども、よくよく考えれば、我々は人生において、常にY字路という岐路に立たされているのだな、と言っても過言ではない。まあ、そんなに難しく考えはじめると、どんどん深みにはまってしまいそうで恐ろしいのがY字路の魅力か。ジャームッシュの映画『ダウン・バイ・ロー』のラストシーン、トム・ウエイツとジョン・ルーリー、このミュージシャンコンビが二手に分かれてそれぞれ人生を再開するシーン、つまりはグッドバイするシーン。あれも確かY字路だったけか? ふとそんなことを思い出しながら、いつか氏の郷里西脇市を訪ねて、美術館と共に実際のモティーフであるY字路をこの目で見てみたいと思った。
◆ロイヤルミルクティーとはチャイまんねん
カフェに行くとメニューにロイヤルミルクティーは見かけるが、チャイを出してくれるカフェはそんなにはないんじゃなかろうか? チャイ好きのミーにはちょっと不満であります。そもそもロイヤルミルクティーとチャイの違いをわかっている人からして少数派なんでしょうね。まずロイヤルミルクティーというのは紅茶と牛乳を混ぜたものを煮出してつくる。チャイというのは、まずは紅茶だけをに出しておいて、そこにミルクを加味してさらにに出す。その上でマサラ、ミント、カルダモン、シナモン、アニスなどの香辛料を入れて、さらに砂糖たっぷりに入れて仕上げるのが本格的なチャイでござい(香辛料と甘さはお好みで)。まあ、ロイヤルミルクティーも悪くはないんですがね、チャイ好きのミーからすると全くのベツモンでございます。詳しくは知らないけど、チャイとはヒンドゥ語で「茶」を意味することから、発祥は当然インドあたりなんでしょうね。そこから中央アジアに流れていったんではなかろうか。流石に紅茶文化は世界に広まったけどチャイ文化はそこまで伸びなかったようで、そこでロイヤルミルクティーに我が物顔でのさばられてもねえ・・・
ちなみに僕はちょうど大学に入ったと同時に、大阪では知る人ぞ知るカンテグランデというチャイ専門の喫茶店でバイトを始め、そこで純粋なチャイの洗礼を浴びたのでした。この店は全てが本格的で、しかも働いている人たちも個性的で実にユニークな人たちが集まっていたっけな。実に楽しい時間だった。今でも当時の思い出に浸ってしまいますね。僕の心の故郷でもあります。
◆朗読ムービープロムナード
好き好んで身体を動かすのが好き、という人間ではないのですが、歳を重ねて散歩することが多くなりました。ただ歩く、というのは芸がないので、やはり何かしら音をお供に歩いていると時間を経つのを忘れます。最近ではブルートゥースをセットして、音楽やYOU TUBEの音声動画を楽しんでいます。音声動画というのは、音楽同様、映像がなくても成立するもので、散歩のお供には最適なのです。落語から、インタビューや講話、個人ユーチューバーの呟き。中でもハマっているのが文学の朗読ものです。著作権の絡みがあるので、何でもかんでも音声動画に上がってはいないのですが、古典文学ものや落語を聴いて散歩していると、ふとした光景にその話がバッチリハマったりして、偶然に絶妙のハーモニーを醸し出すことがあるものです。特に好きなのは、江戸川乱歩の小説で、著作権が切れていることもあって、いろいろあって散歩時間に合わせて短編なんぞを聞き入っていますが、読書の快楽とはまた別の快楽があることを知りました。