好き・嫌い(を集めたこの無政府的な泡立ち)

Roland Barthes
Roland Barthes

好きなものを羅列するだけでも快楽がある。その好きなものに理屈などない、ってなこともないのが、よくわからずに好きってこともしばしばある。その反面、好きじゃないものには必ず理由がある、という気がしている。それは、おそらく、他者や世間の一般的な常識、物事に対する捉え方が、わたしの好きなものを許容してくれない、または対局であるとき、その気配あるいはその根本、その成り立ちそのものまでが嫌悪なり、ひきつけを起こすからではないだろうか、などと勝手に想像する。

ロラン・バルト流にいうと、それは“威嚇”ということになるのだろうか。
ならば、誰に対しての威嚇なのだろうか?

好き嫌いを集めたこの無政府的な泡立ち、この気まぐれな線影模様のようなものの中に、徐々に描き出されてくるのは、共犯あるいはいらだちを呼びおこす一個の身体的な謎の形象である。ここに身体による威嚇が始まる。すなわち他人に対して、《自由主義的に》寛容に私を我慢することを要求し、自分の参加していないさまざまの享楽ないし拒絶を前にして沈黙し、にこやかな態度をたもつことを強要する、そういう威嚇作用が始まるのだ。

『彼自身によるロランバルト』みすず書房より

 バルト先生に言われなくても、人の好みなど、多かれ少なかれ、他人に対する威嚇である。ましてや不特定多数に向けたブログなど、個人の思考や嗜好の押し売りでしかない。それを威嚇と受けて攻撃したい人もいれば、スルーする人もいる。そのなかで、ごく稀な人間が、何かに反応し、気に留めてくれるところから対話が始まる、と言ったところだ。

 よしんば純然たる威嚇だと認識されたとしても、ある瞬間から、自身の嗜好というカテゴリーに分類されるべき何ものかに、不意に紛れ込むということもまた、ありうるのではないだろうか、ということに密かに期待を持っている。要するに、物事は表裏一体というやつかもしれない。よって、もっともクールな仕打ちは、半永続的な無関心であるということ。愛情の裏返しであるところの無関心こそは、何も産み落としはしないという意見には抗えない。そもそもこの無関心という感情について、本当のところはうまく語れない、というのか、考えるのが恐ろしいということなのかもしれない。つまり、無関心という名の箱をあけるときに生じる恐怖、それが自分自身の所有物であれば、まだ考慮すべき価値はあるのだろうが、他者の無関心の箱を覗くだけで、身震いするのだ。だから、あまり突き詰めても無意味な気もするのだと考えたいのかもしれない。他人に無関心でいられることとは、おそらく、嫌われることよりも、本質的に症状が重い、ということなのかもしれない。

 どうか、汝よ、無関心でありませんように、と祈ってみる。つまるところ、それが書くという意味だと思いたいのである。

私の好きなもの

茹で卵の白身、ソルティ・ドッグ、とちの蜂蜜、炊きたてご飯とその湯気、毅然とした態度あるいは大らかさ、エスプレッソの沸き立つ音、ゆず湯に浸かることあるいはその匂い、空耳アワー、微妙に透き通るもの(例えば肌に透ける血管)、散歩すること、アントワーヌ・ドワネルものとその不器用さの一部始終、鼓動、カミツレ茶、桜湯、カヌレ、電車の窓に漂着する雨粒とその運動、万年筆で書かれた文字、羽ペンで書かれた手紙、手紙を書くこと、インク壷、切手を選ぶこと、デカルコマニー、おむすび、よく煮込んだカレー、バスクラリネット、ハモンドオルガン、蜂の巣模様、蝸牛、雨に濡れた紫陽花、レモネード、ロックフォールチーズ、太めのベルベットのカチュウシャ、思い出し笑い、クスクス笑い、自分に向けられた微笑み、寝言、そばかす、上海の隠語、ベトナム語の響き、リエゾン、催しの開演数分前の緊張、解剖図、古い地図、ひそひそ声、どじな猫、愛想のある野良猫、猫のぶんぶん唸り、猫の足踏み、ことわざ及び格言、ピーチスキン、カレイの煮付、舌ビラ目のムニエル、アボカドサラダ、タピオカ、平日に朝早くから映画館で映画を観ること、電車を乗り継ぐ小旅行、ムーンライトながら、地方の美術館めぐり、湯豆腐、借景庭園(例えば慈光院)、箱庭治療、砂時計、壊れたデジタル表示の数字、CDの音飛び、ブラシを使ったドラム、ファックス送受信時のノイズ、ハンモック、細野晴臣の声と歌、プロフィット5、石畳、いるか、コクトオの朗読、ガラスを貫通したピストルの跡、アリスの口調、おかっぱの藤田嗣治、猫またはその肉球、文学青年、ある種の初々しさ、ガットギターの爪弾き、野坂如昭の文体、三島由紀夫の語り、フリージングしたバナナ、ダニエル・シュミットの肉声、心のこもった弔辞、日本の伝統色、空想、『梨の形をした』音楽、溝口映画に出演している進藤英太郎、原節子の目、森雅之、ガルボの眉、フランス語、フランス人が話す日本語、螺旋、澁澤龍彦の書斎、ピカソが着ていたセントジェイムスのTシャツ、パウル・クレーの素描、若冲の羅漢像、古楽、雨上がり、お母さんと手をつないでいる子ども、髪から生え出たような耳、お月見と白玉、きのこあるいは菌類、香ばしいもの(焼き立てのパン)、ネルドリップで煎れたコーヒー、サイフォン、面白い変換をしてくれる一瞬、偶然の一致、夢を見ている瞬間、目を覚まして光が射しているとき、熟睡の始まり、ココアパウダーとその匂い、よく冷えた梨、永遠とつがった海、小箱、恋の前触れ、記憶の断片で夢想するひととき、ワインとチーズの組み合わせ、太陽の下でアイスクリームを食べること、物質としての水、オフホワイト、家紋、岡本かの子の太郎への手紙、手作りのプレゼント、全集もの、菊地成孔の粋な夜電波、ある程度礼儀正しいということ、サイレンス、ノリがいいということ、頭の中で勝手に音楽が流れる時、ひとり遊びまたは上手な人、詩を感じること、冬の京都、朝起きると雪が積もっているとき、韻を踏んだ言葉の羅列、小津組の雰囲気、オーソン・ウェルズのがたい、ジャン=ルイ・トランティニャンのいる画面、 オフビート、レナート・ベルタのカメラワーク、アテネフランセのカフェ、さりげなく仲がいいということ、喧嘩をしてしばらく経って仲直りすること、蛇口、日めくりカレンダー、木漏れ日、振り返ること、ツバメの巣そのさえずり、藤森照信の建築、ダブルトーン印刷、活版印刷、色鉛筆、オリーブオイル、しょうがご飯、ミニマル・ミュージック、サラヴァレーベルのアーティストおよびその精神、ハルモニア・ムンディレーベルのジャケット、ECMレーベルのジャケットと音楽、カリンバ、スライドギター、背をむけるマイルスの写真、ボサノヴァという響き、優しさ、すべすべした肌、表現をいろいろ変えるということ、語彙が豊かであること、パタフィジック、カリグラム、ウリポ、アンフラマンス、軍人将棋、鼻眼鏡、ワイナマラ-犬、ヴィクトル・エリセのすべて、サヴィニャックのポスター、木イチゴ、ハーモニー、ビートルズの曲の中のコーラス、レイドバック、鰊そば、暖簾をくぐる店、カルロス・ダレッシオの音楽、ムットーニのからくり劇場、いい音がする煎餅またはそのように齧る人、綿菓子のような夏の雲、辞書を読むこと、競馬新聞、シナモンスティック、コアントロー、メイプルシロップ、野球のサヨナラ勝ち、甲子園球場とその蔦、紺地のタイガースのユニフォームあるいは輝流ライン、ビールかけとその狂想の一部始終、玉葱の微塵切り、粋な特集を二本立てで組んでくれる名画座、小川プロ、金魚鉢、蜜蜂の羽音、スクラップ、スカーフを巻いた女のひと、絵本、エアーパッキンを潰すこと、カルディ、ドリームぺッツ、フィギュア、ジェームス・ジャービスの生み出すキャラクター、グリコのおまけ、水木しげると人間臭い妖怪たち、帰り道を毎度変えるということ、寒い日の白い息、三国連太郎の老い方、岡本太郎のすべて、ipod 、ABLETON LIVE、アップルのコンピューター 、ジュリエッタ・マシーナの哀愁、濱口祐自のギターと喋り、ピクトグラム、かぶら寿司、70年代の家電、プールのなかの光、ホックニーの色彩、勝新太郎のすべて、座頭市のいかさま博打、大映映画の悪役たち、岸田今日子の微笑み、よく作られた映画セット、広島弁をフィーチャーしたヤクザ映画、スイカ、コアな音楽の着メロ、プールのあとのサイクリング、世田谷文学館、安部公房の文庫の安部真知の装幀、東映時代の渡瀬恒彦、野良猫ロックシリーズ、梶芽衣子主演の『さそり』シリーズとその囚人服、脱走映画、ロードムービー、三部作、台風一過、微震、ひぐらしの鳴き声、路地、吉野葛、成瀬巳喜男の映画の空気、モジラ、初期のテレビゲーム、玉砂利、砂遊び、マドロスパイプ、マーガレット・ハウエルの洋服、ビルケンシュトックの靴、食虫植物、木賊、向田邦子の脚本ドラマ、ガーベラ、ウミウシ、アリジゴクの巣、ボノボの生態、ばんえい競馬、小兵力士、水すまし、天気図、カシミヤセーターの肌触り、海月、生姜湯、カヌレ、熱燗とお猪口とおでん、麻雀牌の字牌。

私の好きじゃないもの

何を聞いているのか一目瞭然のウォークマンの音量あるいはその中味、手が切れる紙または切り傷、刺のあるもの、手が冷たいこと、汗と汗染み、大声、群がること、電車内の携帯電話の通話、新幹線内の匂い、バスの匂い、蚊の飛ぶ音、ユニットバスとすぐにカビの生えるシャワーカーテン、吠える犬、服を着せられた犬、化学調味料と添加物、軒先のペットボトル、選択の余地のないテレビ番組、あるいは歌謡曲またはテレビそのもの、騒音、身軽でないこと、ガスのゴムホースの取り替え作業、砂のある食べ物(あさり、ほうれん草)、体操服に着替えること、朝礼、会議と名のつく集まり、冷めきったタコヤキ、おかずを先に食べ終えご飯だけが残った時の弁当、貧乏揺すりと貧乏揺すりをする人、短気さ、気性の荒さ、融通がきかないということ、羞恥心の欠如、品を欠いた笑い方、映画館で見る連続のコマーシャル、お正月三が日とショッピングモールの箏の音色、塗りたてのペンキ、電話での沈黙、免許の講習、通院、事務的な手続き、事務的な会話、火の切れたライター、すべてのテロ行為、レイプシーン、ワイドショー、お洒落ねぎ、ログインパスワードが出てこない時あるいはログインできないということ、黄身が完全に凝固した茹で卵、帽子のかたが髪につくこと、横柄さ、愛想のなさ、無関心、イギリスの入国審査、日焼けサロン、選挙演説、傘を折り畳むこと、語学の発音をないがしろにすること、誤字脱字の多い文章、カラオケマイク、衝動買い、分不相応なこと、行列の中の一部を担うこと、ヒロヤマガタの絵の展示に勧誘されるということ、アルコールの力を借りてする行為の一部、早口の人、言葉に無神経であること、言葉遣いがなっていない子供、マックのシステムエラー、衣服につく虫、穴の空いた衣服、感情的論争、湿度、電話が故障すること、あるいは繋がらないとき、寝ていた相手を電話で起こすこと、大きすぎること、大袈裟すぎる人、冗談が通じないということ、新聞の勧誘、NHKの集金、靴の中に水がはいること、あるいは濡れた靴下を履いていること、出がらしのお茶、木の割箸、小銭で買えるものを万札で買わなければならないとき、人混み、ペアールック、ブランド名のしっかり入ったトレーナー、食べ物を腐らせてしまうこと、ドアに手を挟むこと、トイレでの並列状態、新鮮でない野菜、痒さ、こむら返り、テレビでゴルフを見ること、予後不良、無駄遣い、宅急便を待たされる感覚、長い爪、厚化粧、湿った味付海苔、猛暑、ハイターの匂い、消毒液、銀杏の匂い、カレーうどん、茹で卵がうまく剥けないこと、羽蟻、合成着色料で舌が染まること、髪の焦げた匂い、棒読み、市役所及役人気質、ある種の演劇(オーバーアクション)、姑息さ、鼻づまり、歯医者 、塀への落書き、匿名の書込み、マウンティング、無理に標準語を喋ることまたは人、嘘をつくのに慣れること、かかとを踏んで履く靴、電車内の居眠りともたれかかり、終電、終電を逃した時、ささくれ、マスク、先入観、同調圧力、情弱者、自由を奪うあらゆる事柄、黙食、消毒液、努力義務、思考停止、公の場所でスマホに夢中になること、会話を遮る人、眼鏡レンズの指紋

注)好きなもの、好きじゃないものは常時気まぐれにワカメのごとく増えてゆきます。