啖呵とは切るものであって詠むものではないと思っている人に、あえて詠んでもらいたい句
少なくとも《情緒》などここにはないかもしれない。端的にいうと、短歌の形式である五七五七七とは名ばかりのいわば反歌集の趣きがある。あらゆる疑似感覚が香取線香のように螺旋を描き、重さを拒絶する格好で煙で巻こうと交錯するのだ。意味の差異(ずれ)の戯れ、記号のような言葉の群れ。基底はここでもパロールンロール、言葉の踊り具合がすべてを決定するというわけである。
言葉の実験と銘打たれていることからして、先の徘徊集に7+7の14を補足したものといえなくもない。ただそのぶんジューシーになったということはいっておいていい。
啖呵とは切るものであって詠むものではない、と思っている連中がいるかも知れない。そんな人たちに是非これは詠まれるべき句なのかもしれない。むろん詠まれずとも問題はない。当然、詠むといっても詠む行為にさほど気を配る必要もなかろう。そこでは軽さへの回帰(跳躍の勧め)を願った暗黙のいかがわしさが横たわっているように思えるからだ。お堅いことは抜きで、とりあえず、言葉の中に共存しあう、多義的な欲深い双語たちを見つけてともに弾けるのもよし、さらに意味などあっさりかなぐり棄て、草原に横たわる具合に句を投げ出し、言葉の響き、韻を味わいつつも、《陰》というちょっとさえない響きの言葉たちの凌ぎ合いを、ほくそ笑むように耳だけにからめ聴くというのもいいかもしない。
いずれにせよ、句のなかに構築された、言葉のあるがままの響きと意味のアマルガムとしてクチャクチャ噛み締められるための新たな姿勢をとっているだけ、それを形の啖呵として投げつけたいだけ、とひとまずここでは解釈しておきたい。
しかるに、詠むのはよしとしても、間違っても生真面目にメッセージを読みとるまでもない、ということだけは読んでおく必要があるかもしれない。その上で、たまたま残る意味こそが、コトバの本来の力に他ならないである。
啖呵10選
逢引のセンチな気分でラブミンチ肉の痛みに板挟み視野
難局に目も当てられぬクマを浮かべそ言って先をと念ずる棋士道
忍び寄るピサの斜塔のシャドウには流石の伊人も汗がタラリラ
不思議の巣屈み開いたアリスちゃん 鏡の国へキャローリングストーン
味覚人嗜好団体グルメぐる舌を頼りにアジミテーション
ハクションも拍車かけたる凄まじさ胡蝶も飛び立つアクションスター
ごろごろとのどかににゃらすゴロ猫もにゃんだか警戒ごろつきサンダー
価値転じデンたる構えの敗者ほどウハウハ羽振りがよろしいようで
枯れ枝か棒なる品物添えられしシナモンめぐって吸ったりもんだり