双頭の茸・テラ
茸といえば菌類。世間ではそうきまっている。だがここに紹介する茸は、どうやら、ただの菌類ではないらしいのである。外見上、茸と呼ぶのはいたって自然なことに思えるが、ただの茸と呼ぶにはあまりにももったいない。いや、茸の分際をはみだしている。違っているのは、なによりも卵生だということだ。
通常は菌糸が増殖するものだが、彼らは個体として卵を生む。この点で動物に近い茸というべきであろう。そこがとても興味をそそる理由でもある。だから、無暗に引っこ抜いたり踏み付けてはならないのだと、まず声を大にしておこう。
他の茸同様、適当な湿地、低温で発育はするものの、絶えず二対で一体のシャムシャンピニオン、双頭の茸ゆえ、一方が萎えるともう一方もやがて後を追うように萎びてしまうといった相互関係にある。彼らは、自分たちの意思であるかのように民家や集落に近い場所に擦り寄るようにやってきて、その土に根を張りめぐらせる。いわば足の固定化のようなもので、根は大まかに二本しかなく、それは大根よろしく土の中にしっかり埋まっている。節々にある巣状のそれは、構造上、瓢箪型の空洞になっていて、大水玉蟻(オオミズタマアリ)とよばれる、水を薄い膜で包んだような生きものたちと共生しており、蟻の巣のような組織をその地下において慎ましやかに形成するのがその特徴であった。
湿気を十分含んだ夜間になると、時間がかかるものの、自在に土壌を流浪することができる、いわば遊牧的性向なのである。ただ、人気のないところはどうも勝手がわるいらしく、運悪くそうした場所に赴いてしまえば、ひどい場合衰弱に襲われることさえある。孤独に耐えられないのだ。そうなれば発育も呼応するように悪くなって、元気もなくなってしまうこのテラは、普段から人間の気配には至極敏感で、どこでどう記憶するのか、そうした人間たちのいる方向へと擦り寄るという術を身につけているのである。
人の気配や話し声を感知すると、様子を窺いながらいかにも近付きたそうにそわそわする。相手に「その気」があると踏むや、まるで人なつっこい犬や猫のように集ってくるところなど、何かと愛くるしさにはことかかない。
要するに従来の温度や湿度といった生存条件に加えて、人の情、人の温もりが日々の調子に大いに左右するというわけだ。なんとも不思議で贅沢、まこと気をそそる性質をもっているではないか。
まずその外見であるが、全長はほぼ十数センチ、一般に人が人指し指と親指を目一杯広げてできる空間に収まりきるというのだが、なかには蕗のごとく巨大な《お化けテラ》も確認されている。十分発育すれば、人間が雨宿りできるほどの十分な笠をもつようになるという。ただし、そこまでいたるのが僅か全体の3%にも満たないという、苛酷な生存ピラミッド体系の中に生きている。
そうしたジャンボ茸になると、備わった感情を毅然とした態度でもって、人間たちに応対するというから、キノコ人間あらわる、というような世俗のトピックに駆り出されることになる。
今までのところ、学説は様々だが、通常のテラがコンパクトなのは成長を自ら止めてしまっているから、という説があり、それにはどこか、シュレンドルフ監督の映画『ブリキの太鼓』にでてくるいわばオスカル少年を思わせるところがある、そんな風に記した雑誌もあったとか。
笠は肉づきがよくしかも弾力性に富むので、小石などを笠に落としてやると、まるでサッカーでいうヘッディングのように、いつまでも小刻み反復運動を繰り返す。内側のえの部分には微妙な毛根がぎっしりと密集している。が、それは見るとさわるでは大違い。意外にも硬質な部類で、いわば櫛のようなものといえばいいだろうか、風が吹くとそれを受けてポロロンポロロンとハープのような音色を奏でるのである。面白いのは、ときおりその風向きによっては、しごく奇妙に聴こえることだ。
ときにそれは“ケケケ”“クククク”などというような笑い声にも聞こえて、思わず微笑みを誘うところもあるために、人は良い子の頭を撫でるかのようにその笠を撫でたくなるという。頭を撫でられると、嬉しさの呼応というわけか、茎を軸として傘を左右に何度も揺らすというものだ。さも感情を無邪気に表現しているかのようなこの微妙なワザに、誰もが思わず感心するのだから、とても茸とは思えない。
ある村では、村祭りの日に蛙のようにクワックワッと鳴くというのも報告されており、まことに面白いキノコの存在で村は大いに湧いたという記事がとある新聞に紹介されていた。だが、このテラ、養分の摂取において、神秘性を秘めたままである。たとえば、動物たちが見せる出産の瞬間のような張り詰めた緊張を思い出して欲しい。そこにはむしろ神経質な一面があり、人工的に、ただ肥料、あるいは養分を与えるというわけにはいかないのである。こうした見解でもって、現在大方の専門家は口を揃える。そうした滋養摂取の際においてのみ、気難しいところを見せることのあるテラは、今のところ確認されている種類において、通常認識されているのは、空から降ってくる雨に寄生する透明な“雨粒魚”と呼ばれるジェル状の生物が彼らの唯一の養分となっているということである。
このさかな自体も、テラに負けじ劣らず不思議な生物であることは、以下の説明によりおわかりいただけるかと思う。この雨粒魚は人間の肉眼では全く識別できないほどミクロな生き物であり、また身体が99パーセントの水と1パーセントの血液〔塩化ナトリウム、リン、カリウム、鉄分など)で形成されているために、地上に付着した場合は通常の雨と同様土に吸収されてしまう。そして、再び蒸気となって大気の中に舞い戻るといった循環の永久運動を繰り返しているというのだが、なにしろ様々な解釈が飛び交うなか、地方各地では、ツチノコをはじめとする一連の謎めいた生きもののひとつに数えられているところもまだ残っているようだ。
光学顕微鏡でかろうじて捕えられるほどのその小さな生命体は、その透き通った内部に小さく「赤目」といわれる球状のもの(それがこの雨粒魚の唯一の臓器、心臓部であり、1パーセントの血液である)が確認できるだけの単純な細胞構造で、新種のプランクトンではないかと言う人もいる。
また、別の話では、人間の血液が蒸発して発生する微生物だと考えられていたり、地元の言い伝えでこの生物が大量発生する年は、主に不吉な前兆として、不思議な出来事が数多く起こるという。が、地に吸収される前、てのひら(それ以外は受け付けず、唯一テラの笠の上に付着するという)で見事にキャッチできれば、奇跡を体験できるところから、その名も奇跡魚とも呼ばれることがある。
であるからして、とりあえず、手順としては、まず手の中に雨粒魚が泳げるだけの水を張っておくこと、それも手の温度が37度以上でなければならいとかで、その上うまくいっても透明なので見分けがつかず、1パーセントの血の球は着地時に大抵壊れてしまうというから手に負えない所以である。よほどうまくいけば、赤い球だけが元気よく動き回るのが観察できるというのだが………
さて、テラの笠がそれほどまで弾力性に富んでいるのはいる理由がお解り頂けたはずであるが、厳密を記す意味ではその赤い玉がえの部分から吸収されて養分となることを付け加えなければならない。養分を吸収するとまるで脱水機の様に全体をぶるると奮わす。それは養分を全身に行き渡らせるためであろう。
その他、このテラは強い日差しを浴びるのを避けるため、太陽光線が一定以上の量に達すると自動的に笠が硬化して鏡のような光沢をもつ甲に変わるので、別名ミラーシャンピニオンとも呼ばれるし、雨上がりには、この双頭の茸は、互いの頭と頭とに虹を架けあうのでレインボウシャンピニオンとも呼ばれている。
地元に古くから伝わる言い伝えによると、この虹は幸運のシンボルで、俗に目撃した人にはいいことがあるという。これは比較的おみくじで大吉を引き当てる程度の確率で目にすることができるといい、さしずめ流れ星ようなものだと思っていただければよかろう。そしてその虹は有色の繊維質の束(プリズム)で出来ているためか、手さげの役割も果たすので、そっとつまんでやると簡単に持ち上がるのである。だからハガキ程度のものなら二頭の間に鋏んで持ち運ぶこともできるのだ。だが、万が一その虹が切断されるような事態が起きるとなるとことは大変である。たちまち昏睡状態に陥って生死を彷徨うというから恐ろしいではないか。滅多やたら軽々しくは触れることもできないということだ。そうなると逆に大変縁起が悪いこととされ、忌み嫌われるのも無理はない。
ともあれ、その弾力性豊かな伸縮性自在なヘッドを左右上下に振って、人の耳に笑い声のように達するその独特の調子は屈託のない児童のようであり、無毒なので、まるで生き物のように愛玩用に飼育する人もいるぐらいである。但し、毒はないといっても食用には向かない。食用にして熱が下がらなくなったであるとか、記憶を失ったであるとか、その手の話は話題にこと欠かない。要するに、食してはならない神聖さがあるといわんばかりである。かような思惟は心得ておくのが暗黙の内の了解である。こうしてみると、一見親しみやすいようでいて、実はそうでもないところにこのテラのテラたるところがある。つまり、ちょっとばかり人間では解釈不可能な神秘の領域に棲息しているわけなのだ。
なんでも、死を予知すると忽然と人前から姿を消すという奇妙な習性まであるらしい。動物でいう、猫あるいは象の神話と比較してみるのも面白いかもしれない。こうしてみてくると、ますます飼育したくなってくるというものだが、実際に飼育するともう二度と飼育したくはなくなるらしい。その意味は敢えて記さない。飼育に関していえば、自然発生、自然発育以外の場合、何よりも天然の養分である雨粒魚の心臓の確保がもっとも難しいとされ、特別の環境、専門家をもってしても実際にはその餌の確保からして困難を極めるというのが一般的な見方である。
ところが、である。そのテラこそは今絶滅の危機に瀕しているという。
声を挙げるものが、さて、いるのだろうか? 謎と興味は尽きない