台風一家ともののあはれ

2005.08.25の日記より

もしもし、トム大佐、聞こえますか? こちら地球感性塔です、いま、美しい地球の極東、関東地方には、台風が来ているみたいなんです。あなたのいる場所は大丈夫ですか? ぼくは無力すぎて、なにもできませんが、あなたの曲を時々聞いて思い出すんですよ。なんだか言い知れぬ情感をね。

相変わらず絶望と希望は紙一重の生活、ってとこです。ぼくの住む町は、道路に水があふれかえっているとか、ラジオでいっています。人は家に、鳥は巣に、それぞれ帰ってゆけるのは幸せなんだと思いますね。あとは時に委ねるだけなのですから。空には、スターマンの姿はありません。そして哀しそうにセミが死んでいきます、いや、哀しさを通りこして、これは諦観ではないでしょうか? それとも、小津安二郎が愛した“無”ってやつなんでしょうか?

毎年毎年、やってきて、やってきたとおもったらなにもなかったかのように消える台風さんとセミ。かつて、そんな人もいましたっけね、台風のような人、セミのようなヒト。でも、こんなこといったら怒られるかな? 基本的に台風もセミも好きなんです、速い雲、激しい雨、ものものしい風・・・でもさってしまえば、台風一過、青空が広がります。死人や災害はね、いやですけど、相手がお天童様さまだからいたしかたない。小さい頃はほんとうに“台風一家”だと思ってましたよ、うさぎ追いしあの山がうさぎ美味しと思い込むように・・・地震よりも、あらかじめある程度、予測できるものだし、人生、仮に台風のようなできごとがあっても、時間がすぎれば解決してくれるような気がして、台風は憎めません。

PS
これはその次の日の出来事・・・
そんなわけで、わが台風一家にかけこんできたのは、一匹のセミ。一体は死骸、一体は憔悴におよんで、窓から我が家へやってきた。セミって不思議な生きものだと思う、何年も地下生活者やっていて、地上にでてきたなら、数週間で没。なんというもののあはれだろう? オスはうるさいが、メスはサイレント、この強弱がすごいと思う。女は一律おしとやか、などとは勝手が行かぬ。人間にはとても真似できない摂理だと思う。あわれみ、ではなく、あはれみーをキミーに贈ろう。