わがグランマー、ことり西へとお向きなさったのが先週金曜日明朝のこと。享年95歳の大往生。とうとうこの日がきてしもたねぇ、と昂る浪速のママンより一報が届き、いわゆるママンのママンゆえに、ママンはグランマーの元へ、本家越中高岡へと駆け付けるその胸の内察する。ところで、その長男あんたはどうするん? で、このロピュ自身もまた、ええ、もちろんいきまっさ、と二つ返事。唐突なことゆえ、仕事の打ち合わせも延期してもらっての弔い紀行に、駄文つらつらちょっと長いおつきあいを。
あるひとにいわしめれば、そんなの電報のひとつと香典をつつんでだね・・・・と申すのであるが、まあまってえな、ばあちゃん死にはった、うむ、このことは、ロピュからしても、事務手続きごとのようにはそろり済ませられん思いあるのだよ。ここぞ、いうときはちゃんと常識も情もひといちばいありますのんやさかい、ぼくちゃんといふひと。まあ、ゼニはかかりますが、そないなもんは周ってのもんやから。なにせたったひとり血のつながったグランマ-やったし、そりゃあ幼少期には可愛がってもろうたし、もうかれこれ何年も姿、顔見ず、風の便りには、目みえず、痴呆すすみ、寝たきりで、などと知っておったが、それでも血の繋がりとは不思議なもの。記憶の中に、グランマ-の声、その姿形再生すれば昨日のことのように甦ってくるわいな。そら最後見送ったるのがスジちゃうけ? そながそながやぜと、迷うことなくみっつ違いのウルスラ姐さんともなって、お通夜へと一路北上。
トンネルを抜けるとそこは雪国だった、かの文豪のくだりも、まんざら嘘ではないなあ、と上越新幹線小一時間過ぎれば目に眩しき銀世界のながめての、姉弟越後湯沢経由で約3時間半。トウキョウはその日、小春日和のあたたかさ。かの地北陸雪どころは、はてどないなものか? と思ったが、越中高岡は残り雪こそあれど、天は95で天寿まっとうの締めの儀に絶好の日和を用意したとみえ、こげな天気ちゃめずらしぃ~ぜ、やっぱりばあちゃんの徳やがいて、などとざわめくも、その言葉に嘘はない。
懐かしいが寂れたなぁと駅前からハイヤー飛ばして向かう会場は、葬儀専門のシティーホール、仏囲んでの親族一同がすでに集まって、お通夜待機中。やはり大往生ゆえ、しめやかさほとんどなく、むしろ懐かしさゆえに笑顔の花爛漫のはずんだ空気。で、先んじたママンはじめ親戚一同も、遠方はるばるお江戸より息子娘の到着をば、よくぞきてくれたねぇと出迎えてくれる。こうみれば、やっぱり血のつながりというものは理屈ではないわけで、まあ、ここに集ったもの、浅い深いのちがいあれど、遺伝子共有組の仲。なかにちょっとちがうか、ってなものもちらほら混じっておるけれども、かような集まりの衆仕切る輩、ひときわ目立つドス声響かせる通称ガマ、いやあ、ようこられたちゃこられたちゃ、こっちきて座られ・・・ええまあ・・・は、はい。いかにもそれが生きる源といた好色の気配漂うその面ガマ思わせるゆえに、ここはオフでいつしかロピュ命名の「ガマ親分」として、その満面にたたえしエロ河童ならぬこのエロガマは、ママンの姉、いわばロピュからすれば伯母の亭主であるからして、当然“血”はかよってはおらぬ。が、かような親戚行事では、そのよしみでたえず仕切りごとはまかせよとばかり精を出す性分。故に格好の場、待ってましたとその大役喜んで引受ての立ち振るまいの、さすがにもう堂にいったもので舌もなめらか、手際も気配りも実によおできておるのには感心する。一方、肝心の喪主、いわばママンの兄上、ここ十年床にへばりついておったグランマーを永年伴侶とともに連れ添った髪結いの長男はといえば、さすがに心労重なっててんてこまいの事態、これじつにちんまい格好の、さらに背がまるくなっておって、いまひとつ冴えぬ手際ぶりゆえに、かえってガマの存在がいっそう際立ってみえるのもまあしごく当然か。ガマもガマで、今回ははまり役にて感謝されることはあれどさ、仏の娘婿とあらば浮くようなことはない。
その昔、店の改築にやってきたこの腕利きの大工に自ら惚れこみ長女との縁をとりもった御前の仏、その眼まだくろぐろとしておった時分には、目の前で包丁振り回してあばれまわること茶飯事で、おっとろしいぜぇ、娘哀れなと刻まれし悪党だったというが、年々その餓鬼表立ては見せぬようになり、かような場でそれなりに節度心得て活躍しめせば、仏もこの場は手を合わせるよりほかあるまい。そのようなことで、ある意味一時代の終焉かざる通夜という儀式が、その土地の習いにそってスムーズに行われた。ガマの存在、いまや必要不可欠となりしN家の事情。
会場かなり広く、立派な飾りたてに、グランマ-の軌跡がそれなりのものであったのだなぁ、と改めて思いしらしめてくれる。人生ただ永く生きるということも、ひとつの才能に相違ないとばかり、さすがに一世紀弱ともなれば、あっぱれである。キンさんギンさんというのは、そのなかでも最高峰の国宝であったが、わがグランマ-も、親族の間において、しかとその軌跡揚々とかかげられるほどの家宝にての永眠、そりゃあ市会議員からも弔電が届くってわけね。そのグランマー、13のときに髪結いの弟子入りをし、以後その世界でその腕一本で4人の子供を育てあげた。というのも亭主は病弱で若くして他界、女盛り三十路半ばにしてやもめとなれば、あの戦後の復興を女手ひとつおのが力便りにうぐっと歯くいしばって生きのびねばならず、それゆえに肝どしりとすえねばここまでやってはこれなんだろうよと思う。ここに居合わせたのも、その魂のおすそわけにすぎぬ。
思えば我が身、このグランマ-の鶴の一声、絶対産んどかれ、で世に出ったまでのグリコのおまけほどのものにすぎん。根底にはその命、天命とともに与えられしもので、ラッキーラッキーもらいものありがたや、という気持ちがたえずある。長女難産にて産み苦しみ味わったママン、二尾目のどじょうはまあリスク回避がよろしいとのパーの三寸も、グランマ-の仲介、助け舟にて九死一生を得たぼくちゃん、晴れてこの世の一員に加わりし因縁があったというわけなのよね。しかもグランマ-に見届けられて、この地越中高岡の病院がこの世のはじまり、だもので自然と感情がぱっと灯るのは無理もない。
そうして一日目、夜とぎの儀にて、仏を前に夜通しいとこ談合。グランマ-初孫、愛着も人一倍あるガマ息子童顔のTに、本家の本孫、グランマ-と永年一番直に接した、ちょっと疲れぎみ喪主の長男M、そしてロピュとロピュ姉、つのる想い出話とりとめもない。おまえ、ばあちゃんの思い出あんが? そらあるよ、とまず生誕の秘話にはじまり、いつもなまんだぶなまんだぶいうてはって、仏壇の前で呪文のような経文つぶやいておったやんか、で、仏壇のご飯をまっさきに食らうばあちゃんがね、などとのたもうロピュ。そしてあの野太い声、そして自分のことをオレとかワシというばあちゃん思い出すなあ。外様の孫ゆえに、主に夏休み冬休みの記憶に頼るしかない。かくして、愛情の濃淡こそあれど、思いはひとつ、霊前にて線香ろうそく絶やさずに誰ともなくこれを続け成仏を見守りながら夜は更ける。が、やはり眠気に勝てぬロピュ、仏の前でいつしか寝入ってしまうのは俗物のサガ、あの世にはまだ猶予がある。ごめんやぜぇ、グランマ-。
次の日、引き続き快晴、さらに温暖にて順風にこと進む葬式のクライマックス、告別式。会場に流るるピアノメロ、おや? なんとサカモトのforbidden coloursではないか。ぽろろろろ、ぽろろろろろぽろろろろ、ぽーろろろ、ぽろろろろ、ぽろろろろろぽろろろ、ろろーろろ・・・。そうか、最近はかようなセレモニーの仕込みにも顔をだすのだなあ、時代も変わって・・と感慨。喪主はあいかわずの不器用さ、入れ歯の具合も手伝って、そのスピーチ聞くものみつめるものをはらはらさせる。あげくに、マイクにメガネごつん、ごつん。あちゃあ。それでも、そのあまりにも洗練されぬしゃべくりが味となって、永年おのが母を献身介護してきた息子というスポット浴びて、皆一同温かいまなざしビーム行き交わす。最後、棺開いての体面、死に顔にいうのもなんだが、視るも齢95にしてお顔艶はなはだよろし。安らかな顔に花を撒いてここでフェアウエルさようなら。ガマの孫、小ガマ無邪気にきゃっきゃっとあばれまわる。小ガマに弔いの意味をといてしかっても仕方あるまいて。その爛漫な姿に幼きころの我が身を映してみればそう思う。こういうころ、あったっけ。でもぼくちゃん大人になてしもうたわ。そうしてグランマ-のひつぎ担ぎにかりだされるまでに大人になったわさ。仏葬るのにお役立てできてその、いやあそりゃあ嬉しく思うねえ。なぜって、そら人間はだれしもひとに喜んでもらう、役に立てれば悪い気はせぬと思うわけでね。ママンも今回その達筆の腕かわれて、香典の記帳やら集計やらにて奮迅。普段にない緊張と充実をあじわっておったなあ。パーはパーで相変わらず、餓鬼ともなってのときおり見せる癇癪爆弾は、さすがのガマも冷や汗をかいておるぐらいだから、身内みるに忍びない。ぼくちゃんもなさけない思いこみ溢れてため息。
出棺、そうして火葬を終わっての骨あげの儀、箸でつまんだ骨はやがて土へ還る。まるで小津の世界「小早川家の秋」に出てきそうなような市のふっるい火葬場にて、なんでも取り壊し移転の話があるとか、ちょっと時代を感じるその火葬場の係員これがあの世への道先案内人のつもりなのか、まるで車掌のような帽子を被っておって万事を粗相なく取り仕切る、実に田舎風味「この仏様は顎がほとんどなかったですね、あごを晩年つかっていない方の場合には、こんなふうに少なくなるんです。みなさんも顎はよく使ってくださいね」とずらり囲んだ生き仏たちに説法?を説いておる。その後変わり果てた骨、この地域ではまずはのど仏から拾うそうな。仏ののど仏ってのこるものなのねぇ。そうして箸で拾いあげる儀も終わり、斎場に戻りてふたたび法要、そして最後精進で締め。そうして、ママンの生家、ちょこ寂れた町並みのN美容室へ。
喪主やガマ、ガマ息子、それに本家の仕切りやたち男手に、わがママンと餓鬼おさまったパーまじりて香典の計算をはじめて過熱帯びた気配。いやあこういう世界は実にわからないねえ、でも、こういうこと、いつか我が身に起らぬとはかぎらぬ年頃になってきたぼくちゃん。とりあえず戻ってきたグランマ-の遺骨仮据えの間で、N家の女衆のおしゃべりに耳を貸すが、これがその、なんというか、ドキュメンタリーとして実に面白いしろもの。喪主の嫁だからして、いわばグランマ-のことをもっともよく知っておる人物のコトバ、これバーチャンリアリティ。永年にわたるその介護で、タダでさえ身細いかとんぼのごとき小さな身体、さらにやつれはて、明日は主役がこの方になるやもしれぬ、ではあるが至ってその口饒舌でなかなか味のあるキャラ。この饒舌きわめて愉快な越中ことば繰ってのものでいっそうひとり漫談といった風情が増す。ロピュの映画にはぜひお力をと思う。
うちのばーちゃん。なーん、施設あずければ楽やったやろがにぃ、わし、それやったらほんまさみしいぜ思っとんがいぜ。・・・・わし、そいでも一生懸命つくしたがぁ。なーん悔いないがぁ。と多分に恨み節もはいってはいるが、それでもこの伯母はじつに偉いと思う。いくら尽くしても、グランマ-は血つながらぬこの嫁には生涯わが子以上の愛情をもたなかったとはよく聞かされたもので、家がもつ因習やら気質やらをひもとけばそれはそれでどろどろしたもの浮かび上がってくる。まあ、臭いものに蓋をしよう。うちのばーちゃん、うちのばーちゃんとなんどもなんども思いこめて、この場であらためてその日々、姿を回想する熱気のようなものに、いままで大変やったねえ、おばちゃん、というと、なぁん大変なことないがぁ、と虚勢をはるところに人間を観る。ロピュ思わずキャメラを回したい気分となり、携帯のプチビデオ回す。うちのばーちゃん、顔はきれいやったがぁ、髪もクログロしとったやがいぜぇ。ほれ、見られ、米寿の時の写真、と指す。確かにその色つやはもっともな。でも、肌はすごぉ汚かったちゃ、背中痒いもんやから掻くやろ、血だらけになんが、それで肌はワニの肌みたいやったがいぜぇ。とそのいちいちとびだす形容ぶりに天然のストーリーテラ-を思わせる。横で聞くガマの嫁は、仏の悪口はやめとかれ、と間髪いれるが、いんや、悪口やないがぁ、うっちのばーちゃん、うっちのばーちゃんとまだまだいい足りぬ感情繰り返して、それでもばーちゃん、あんひとは幸せやったがぁ。そんでもて米寿のときのばあちゃん、がそれをきりっと観ておるがなしかし。
なんたって、そこには、当事者だけしかわからぬココロの綾がある。ロピュ、誰を悪者に思うのでもない。ただ、こうやって賢明にいきてきた姿に、なんだかひとり映画ごちた気分味わって、いいなあと思って聞いておった。そんな意味で、自らおどけて“おもしいぃ顔しとっても”文句いいつつも己のやってきたことに卑下する気配は一切ない。気丈な女である。このT伯母ちゃん、ロピュは愛おしくさえ思ってみておった。
そうして、名残り惜しまれつつも、ほたらまた遊びに来られ、今度はホタルイカ食わしてやっぜ、ええ、そのときはぜひまたよろしくと、できるだけ短くはすませ、今宵深夜バスにてお江戸へ。式典済むのを待っての、誰か涙代弁するがごとく一気に降り出した雨、物凄い雨風模様となっておる深夜高速を南下。べつに興奮はないが、妙に寝付き悪いロピュ、この二日をふりかえっておった。いってよかったなあと思う。まあ、哀しみの喪ではなくして、再生の喪というか、ココロあらたなる喪であったと自己解釈する次第。なにごとも迷わず、思うがまま賢明に生きればそれでよいじゃないの。男勝りに一度もねをあげず一世紀まっとうした髪結いの明治女、このグランマ-の血ながるるロピュとあらば、あらためてそう思うのである。その戒名、釋尼智秀どの、これにて真に守護天使の列に加わったとみれば、ありがたやありがたや。かくして南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。安らかにお眠りください。