1日だけの夏の終わりのプレイリスト
さて、これまでも季節絡みで いろいろと音楽セレクションを書いてきたけれど 今日は、たった1日、その短いタームでのプレイリストと称して セレクトしてみたいと思う。
さて、これまでも季節絡みで いろいろと音楽セレクションを書いてきたけれど 今日は、たった1日、その短いタームでのプレイリストと称して セレクトしてみたいと思う。
当時のニューウェイヴ事情、 それぞれ海外、日本の状況を顧みて それを独断で表裏にわけて取り上げてみたけれど、 さりとて、単に当時のムーブメントの一部にすぎない。 埋もれたものやスルーしてしまったもののなかにも 注目すべきものはまだまだ無限にある。 それがニューウェイヴの奥深さなのだ。
YMOにしたところで、基本テクノポップを掲げてはいたが 歌謡曲にもクビをツッコミ、YMOを母体にして ニューウェイヴ的な実験の場をおのおのソロ活動において 深く追求していたようにも思える。
今みたいにインターネット経由の情報がまったくない時代。 よりどころにしていたのは、直にレコードショップへ足を運ぶこと。 そこからの情報収拾がてっとりばやかったのだ。 ジャケ選びも重要な要素だった。 そうして、片っぱしから面白いと思うものを買って聴きまくる。 (お金はないので、レンタル屋にも通い詰めた) そこで、レコードに入っている解説を熟読する。 そこからまたどんどん知識は膨らみ、興味が掻き立てられる。
ニューウェイヴというジャンルは、実に多様性を持っていたわけで、 パンクが終わって、ポストパンクだのオルタナティブだの そう呼ばれることもあるが、 それはときにテクノだったりエレクトロニックポップだったり そうしたカラフルでキッチュな側面もあれば、 ダブやノイズ、インダストリアル、エクスペリメンタル、音響派と 一筋縄ではいかない、つまりはわけのわからないものも かなり混じり合って混沌としたジャンルのようにも思える。
日本はいまや世界にほこるアニメ大国ではあるけれど、 正直、僕が子供の頃、見て育ったような、 素朴かつ、なかなか味わいのあるアニメなんて、遠い日の花火であり、 いまや、その絵のタッチも中身も、どれもが 現代風にアレンジされてしまった。 確かにそれらは小気味よく、こぎれいなもので 大多数を占められている気がするが どうも心に引っかからないのは何故だろう?
80年代を振り返ってみると、 一般にはバブルの時代、情報過多なメディア文化が溢れ、 サブカルを始め、ポストモダンやニューアカ(デミズム)などが 雑多なまでにはびこっており、そのどれと言って 正直、全て理解していたとは思えない。 まさに空気を感じ取っていたに過ぎない。
少なくとも、僕が知見してきたモノに関しては そうした流れのなかに産み落とされた、ものばかりだ。 それが時代と共に希薄になって、 コマーシャル主義、インスタントで中身が薄っぺらいモノにかわって今日に至っている気がしている。 もちろん、それは僕個人の感想だが、 それを結論として、昔は良かった、などというつもりはない。 が、そうしたものをリアルタイムで、体感できたことは 幸福な出来事であったと思う。
新しい時代の幕開けを告げるかのように 開催された万博のことが、なんとなくうろ覚えだけど、 記憶の片隅に、あるにはある。 世の中のことなんて、何にもわからなかった。 それでも、ぼくはリアル七十年代を生きた。
しかし、どうころんでも、万人が納得し共感を得るような そんな60’sを回想できそうもない。 といって、単にマイナーで、へんてこなものばかりを振りかざす気にもなれない。 あくまで、心に響く後付けの60’s というくくりでしかない。 はたして、当時、このエリアに熱狂していた人がいるのだろうか、 いたとしたら、きっと仲良くなれたかどうかさておき 今より遙かにレアで、特殊な人種だったのはまちがいないだろう。