映画・俳優

鈴木清順 1923-2017映画・俳優

サロン De 鈴木清順

鈴木清順、この名前をきいただけで意味もなく ワクワクニヤニヤする映画好きは、なにも僕だけじゃないはずだ。 没後9年の年月を経て、生誕100年を超えた今、 この監督が活躍した昭和といえば、 遠い昔のことであるからこそ、改めて時代が問い直すのだとすれば、 鈴木清順とは、一体なにものだったのか? 代名詞たる“大正ロマン”とはなんだったのか、という問いである。 それは遠い日の夢花火で片付けられるものではないのだ。 その感性に、まだ時代が完全に追いついたとまでは言いがたいが、 映画史に、その名を刻んでいる事実は 映画史のみならず、我が国の文化的な誇りといっていい。

溝口健二 1898-1956映画・俳優

サロン De 溝口健二

溝口映画を見終わったあとは、どっと疲れる。 実に重いのだ。 そう簡単には他人に勧められない重みがある。 同時に、その充実感、鑑賞の醍醐味は他にないものがある。 食い入るように見てしまうのだ。 やはり、これぞ巨匠の名にふさわしい格、そして魂に響く何かがあるのだろう。 その意味で、日本の映画史において、 ひとり好きな監督と言われれば、成瀬巳喜男といいたいところだが、 ぼくがもっとも敬愛する監督といわれれば、溝口健二なのである。 当然、その思いは映画作品を通して培ってきた感覚に他ならないが、 ここで語りたいのは、巨匠溝口の功績ではなく、 人間溝口を踏まえた映画作家溝口健二としての魅力なのだ。

Victor Erice 1940ー映画・俳優

サロン de ビクトル・エリセ

あれは「シネ・ヴィヴァン・六本木」がまだあった80年代の終わりだったか。 ビクトル・エリセのデビュー作である『ミツバチのささやき』に はじめて出会ったときの感動は、40年近く過ぎた今も、全く色あせてはいない。 いまだに、大切で幸福な映画体験の代表として、ことあるごとに「語ってしまう。 一つの事件のように、それほど、大きなショック、感銘を受けた映画なのだ。

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.49 偏愛的シネアストサロン映画・俳優

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.49 偏愛的シネアストサロン

ここで取り上げる映画作家たちは、 これまでの路線を大いに逸脱する名前などでてはこない。 繰り返し繰り返し言及してきた作家たちを ときに、重複する言葉や言い換えによって ああでもない、こうでもないと上書きするだけのことだ。 相変わらず、しまりのない、だらだらとした独り言が続く。 すべての作品を見て、細部にまでこだわり シネフィルの真似事をしたいわけでもない。 そこには自分としてのフィルターがある。 はじめに「好き」ありき。

Varda par Agnès 2019 アニエス・ヴァルダ映画・俳優

サロン D’ アニエス・ヴァルダ

アニエス・ヴァルダの眼差しが好きだ。 彼女の語りが大好きなのである。 時に祖母のようでもあり、また、歳の離れた友達のようであり、 また、この世のあらゆる境界線上に生きる創造物のようであるアニエス。 そんな彼女が映画で使用する文法の自由さに驚き いつのまにか、その世界に引き込まれてきた。 そんなぼくが敬愛してやまないこのシネアストについてのサロンを ここに言葉で開いてみたい。 ただし、ここでは彼女の仕事を言葉でうまく語るよりも 同時に彼女が知らない人にも向けて、 そのアウトラインが親しみを共感できるガイドになればいいと思う。 極めて低い敷居になることを願う。

若尾文子 1933-映画・俳優

若尾文子小論法

ここまで、勝手にわが偏愛女優小論を重ねてきたが トリを飾るのはこの人しかいない。 若尾文子については、ここでは彼女の主演作品のなかで、 何度も言及し、ひたすらその思いを綴ってきた。 とりわけ、増村保造という映画作家の元で放った 強烈な印象を中心に、思いを傾けてはきたが、 本来、彼女は、一つのジャンル、傾向に収まりきるような女優ではない。 それこそ、舞台から、テレビドラマ、CMなどをこなす、八面六臂の活躍は 昭和の乗りをこえて御年90の大台にも突入している。 溝口健二作品では、女優道を仕込まれ、 小津や川島雄三といった名匠のもとでキャリアを重ねながら 本領たる増村作品にで合う。 『青空娘』にはじまり『最高殊勲夫人』『卍』といったものから、 以後中心にかたる日本女性にはない、強さをもった役で 印象を決定づける作品はもとより、 さらには吉村公三郎や市川崑といった監督の元では 洒脱なコメディエンヌとしての才も十二分に発揮してきた、 文字通り日本映画の隆盛期を支えてきた大女優である。

梶芽衣子 1947-映画・俳優

梶芽衣子小論法

最近、ストリーミングで梶芽衣子60周年コンサート『セッテ ロッソ』を観た。 彼女の映画を通じて、その数々の歌に親しみはしてきたが、 ここに立つ彼女は78歳。 そこには芸歴60周年のずしりとした重みもあり、 老いてなお、凛とした佇まいでステージに立つ彼女に 驚かされ、そしてしびれるのだ。 時に、姉のように、そして母のような面影を宿す彼女は、 やっぱり、唯一無二な存在だなと、つくづく思った。

リブ・ウルマン 1938ー映画・俳優

リブ・ウルマン小論法

イングマール・ベルイマンの映画を語るとき、 リブ・ウルマンという女優の存在の大きさを避けて通ることはできない。 それは彼女が代表作に数多く出演したからというよりも、 ベルイマン映画の本質そのものが、彼女を通して 初めて可視化される“触媒”に他ならなかったからである。 試しにテレンス・ヤングでチャールズ・ブロンソンと共演し その妻役を演じた『夜の訪問者』などのウルマンとでも見比べてみれば その違いは歴然としている。 彼女は、ハリウッド的女優でも、フランス映画のアイコニックな女優も似合わない。 まさにベルイマンにとって唯一無二なミューズだった。