映画・俳優

波紋 2023 荻上直子映画・俳優

荻上直子『波紋』をめぐって

水というのは、不思議な物質だな、と思う。 透明で、無色で、流れて、1滴でも大量でも中身は変わらない。 だが時に人や街さえ飲み込む力がある。 それは集合化した水のもつ脅威というよりも 日常の奥深くに宿るひとつの魔力なのかもしれない。 一見、静かにそのブルーを基調にしたトーンの室内、 あるいは衣装、水を通して淡々と繰り広げられる家族の群像劇、 荻上直子による『波紋』を観終わったあと、 なぜだか水についてぼんやり考えてしまうのだ。 ああ、こんなにも何気ない水が、 情熱を帯び、人の生活を揺さぶるものだったのか、と。

あんのこと 2024 入江悠映画・俳優

入江悠『あんのこと』をめぐって

入江悠の映画『あんのこと』を観たとき、 街を彷徨う一人の女の子の後ろ姿に言い知れぬ孤独を感じた。 シャブ、売春、不登校、彼女の闇はことのほか深い。 ぼくはその“誰か”の視点でこの映画を受け止めたいと思った。 それはヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』のような、 誰にも知られず、触れられず、完全な他者として ただ見つめることしかできない天使の視座として、 あんという女の子を見届けようと思った。 でも結局、ぼくらは何もできないということを知るだけである。 この世界では、それは絶望という言葉に置き換えられる

コット、はじまりの夏 2023 コルム・バレード映画・俳優

コルム・バレード『コット、はじまりの夏』をめぐって

静寂のなかにも声がある。 聞こえないのは、ただ小さすぎて、 日常の喧騒にかき消されているだけなのかもしれない。 耳をすませば音は確かに聞こえてくるのだが、 同時に、心で読みとるものでもあるということ。 コルム・バレード監督の長編デビュー作『コット、はじまりの夏』は、 語られざる声を、風が草原を渡るようにそっとすくい上げる。 そんな瞬間が心を打つ映画だ。 文字通り、静かな少女の詩情と視線を紡ぐ物語でありながらも これぞ、大人の映画作りが展開されてゆく。

パリタクシー 2022 クリスチャン・カリオン映画・俳優

クリスチャン・カリオン『パリタクシー』をめぐって

原題は『Une belle course』、つまりは「美しい、道のり」であり、 英語版は「Madeleines Paris(マドレーヌのパリ)」。 いずれにせよ、タクシーという乗り物を通して描かれるドラマ。 たかがタクシー、されどタクシー。 人生、なにがどこに物語が転がっているかわからないという映画作り。 終始、ことばに温もりと痛み、そして哀しみが漂う。 そんななか、心軽やかに身体を運ばれし幸福の数時間。 シャルルに、マドレーヌに、そして映画にメルシィボク。

瞳をとじて 2023 ヴィクトル・エリセ映画・俳優

ヴィクトル・エリセ『瞳をとじて』をめぐって

だれでも忘れられない映画というものがある。 ぼくにとって、ヴィクトル・エリセの『ミツバチのささやき』は そんな記憶に生き続ける一作品である。 スペインの映画作家ヴィクトル・エリセにとって、デビュー作であり 以後、約10年のスパンでポツポツと作品を撮りながら、 ここ約30年の歳月の沈黙を経て、完成させた『瞳をとじて』 満を持して、この寡黙な作家がようやくスクリーンに帰ってきてくれた。 今年83歳を迎えるエリセにして、長編4作目。

枯れ葉 2022 アキ・カウリスマキ映画・俳優

アキ・カウリスマキ『枯れ葉』をめぐって

カウリスマキが前作『希望のかなた』の後 そういえば、引退宣言をしていたな、というか そんなことをすっかり忘れていたことに気づいた。 長年カウリスマキとその映画を愛してきた人間からすると ずっと身近にいる存在でもあり、 何度でも繰り返し過去の作品をあれやこれやと見ているからか、 引退、という言葉がにわかに信じ難く、 どうせ、そのうち戻ってくるだろうぐらいに思っていたのだ。 そこからの見事な復帰作『枯れ葉』でのヒット。 なんだか自分ごとのように嬉しくなってくる。 しかし、これまたカウリスマキらしい憎い“演出”にも思えてくるが、 さて、どうだろう?

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.41 ポストパンデミック後編:シネマでぶらり、映画鑑賞特集映画・俳優

ロピュマガジン【ろぐでなし】vol.41 ポストパンデミック後編:シネマでぶらり、映画鑑賞特集

コロナ禍においては、色々な制限が課されていたこともあり、 映画館へ足を運ぶ機会も意欲も、ずいぶん減ってはいたが、 最近では、気分的にも大きなスクリーンで集中してみる映画体験を 積極的に回帰している自分がいる。 とはいえ、映画を見たい、手軽に見たいという欲望が無くならないが故に、 ストリーミングに頼るという生活もまた、なくなる事はない。 作品を何度も見直すことができるし、 どこでもかからないような、貴重な作品さえも手が届く。 何より、映画を愛するものにとって有難いまでの仕組みが多く提供されている。 いずれにせよ、1本の映画作品の価値は、 形態や見方を変えても変わるわけではない。 その本質を見落としてしまえば、単なる時間の消費に過ぎなくってしまう。

ジョン・グエン デヴィッド・リンチ:アートライフアート・デザイン・写真

『デヴィッド・リンチ:アートライフ』をめぐって

カルトの帝王こと、デヴィッド・リンチが亡くなって、 日に日にその喪失感を募らせている。 その作品を通して、いろいろリンチに思いをはせてはいるのだが、 あらためて、その作品の持つ奥行きの沼にはまってしまった人間なら だれもがその頭の中の一度は覗いてみたくなる、 そんな魅力的なアーティストの死に、 この一つの時代の終わりを、ここに、静かにみつめてみようと思う。