デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリームを観て
内観する存在物としてのボウイ デヴィッド・ボウイ。あの巨大な星が視界から消えてブラックスターとなりて、はや6年の歳月が流れている、この事実の前に、この頃なんとなく無頓着になりつつある。というのも、あのボウイが今仮に生きて...
内観する存在物としてのボウイ デヴィッド・ボウイ。あの巨大な星が視界から消えてブラックスターとなりて、はや6年の歳月が流れている、この事実の前に、この頃なんとなく無頓着になりつつある。というのも、あのボウイが今仮に生きて...
嫌味なく、闇をノワールに覆えるモダニズムとは? 日本人でありながら“directed by”が実に嫌味なく板につく映画人はそういないと思う。まして、一昔前の映画監督を思い浮かべても、どちらかというと、職人肌、昔気質、巨匠...
むかしむかしあるところに…。愛という名のおばけ語り 先日『愛のコリーダ』を久しぶりに見て定と吉の、度外れた阿呆のような会話(むろん褒め言葉である)を思い出したようにニヤニヤドキドキしている自分が実にまた可笑しいのだ。この...
リアルな悪を俯瞰する、あくなき欲望 目には目を、歯には歯を・・・ただでさえ、ギスギスした人の世、復讐、その言葉の意味合いには少々注意深く吟味する必要がある。英語で「リベンジ」などというと、実に軽く、少し曲解されて流通して...
ゲームの落とし前はちゃぶ台返しで いまでこそ「ゆとり教育」だ、「ゆとり世代」だともっともらしい風潮たなびくいい時代にはなっているけれども、かつては学歴偏重主義というものが大々的に掲げられ、やれ受験戦争だ、出世競争だといっ...
『ケダモノ』はただものならぬ映画にこそ映えるもの 川島雄三の映画史におけるポジションの説明は、ちょっと難しい。もっとも、映画をよく知っているものならば、わざわざそこに労力をついやすことはないはずである。必ずしも万人受けす...
切腹、満腹、ご立腹。究極の恨み武士道を斬る いまや医療界を含めた、昨今の政治の無責任さ、この二年近い貴重な時間を奪われ未だその責任の所在なき曖昧模糊たる空気感が支配するこの狂った現代で「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり...
任侠かアートか、ミュージカルか? これぞおふざけ楽しやエンタメ映画の流れ者だ 何処で生きても流れ者どうせさすらいひとり身の明日は何処やら風に聞け可愛いあの娘の胸に聞けああ東京流れ者 多分にもれず、洗脳されてい...
ハレルヤ。この晴れなき、ぐずぐずメロドラマのまぶしさよ 気が滅入るほどに繰り返される男と女の“ぐずぐず感”に、何度もイライラさせられるし、いい加減にすればと呆れてしまうほどだ。それにも抗えず、奇しくも運命共同体のごとくど...
恋愛に平安なし。地獄の門を潜るのは誰? 日本映画が世界にその威光を放っていた輝かしき時代。黒澤、溝口、小津に今村、そんな大御所の名前の中にこの人の名前をついうっかり忘れてしまう。衣笠貞之助という人。日本映画で、先陣を切っ...