抽象から半具象へ、魔界の道へのデジタルアート
RK GALLARY
わがアールロピュットの作品群に、新たに《ROUGH KITSCH》と名付けられたシリーズがくわった。ご覧の通り、いわゆる文字ではない。ひいては絵でもないのかもしれない。落書きとでもいえば、一番ニュアンスは近いのだが、記号だ模様だといえば、なまじ意味が生じてくるから厄介である。なんらかの思い(メッセージというにはおこがましいなにか)であること、その昇華物であることは間違いないところだが、それは個のルールによって設定され、デジタル作業なかで、自由気ままに生成されているにすぎない。プロセスはおもちゃのごとく、いたって単純である。しかし、これはAIとはちがって、肉体的な作業が介入するから、道具がデジタルというだけで、人の手になる絵ということに、なんら変わりはない。
さて、ここでデジタルペインティングの素晴らしさを語ろう。まず場所をとらない(保管も簡単)、やり直しが利く、時間効率がいい・・・とその利点をあげればいろいろある。だからといって、アナログの手描きには、絵を描く原点、醍醐味があるし、そこに優劣など存在しない。だからこそ、こうして曲がりなりにも作品を量産しつづけ、デジタルペインティングと戯れ、その領域の恩恵にあずかっているのだ。文明と我が肉体に、感謝の想いしかない。ここに新たにデジタルペンによるPAD絵にまで入り込んでしまったのは、好奇心に煽られ導かれたからだが、そもそも、絵を描くこと自体が奥深いのか、それとも、デジタルの進歩そのものが奥深いものなのか、およそ、そんなことを考えている暇も無く、絵を描き続ける衝動、歓びに絶えず刺激を受け、抗えない自分がいるのだ。それはまるで、恋するものたちの特権であるところの、ある種の思い込みに似て、胸がときめき、高鳴るものがある。
肝心の絵の中身、出来映えなど、ここではさしてどうでもいい。そこは、初期衝動で培った純粋で勢いだけの、シャープペンなぐり描きでできあがった線画《アフタヌーンオピューム》をはじめ、色鉛筆を使った無軌道な《悪あがき》での衝動的ドローイングの興奮作業の延長が、単にデジタル上の戯れとして引き続き継承されているだけなのだ。その間の時間的な推移、多少の手先のこなれ感等も加算されて、それなりに“進化”した造詣を実現できている、といえるのかもしれない。だが、個人的な関心は、そうした技術的な進歩や進化にはほとんど無頓着でいられるのは、ひとえに、絵を描く純粋な快楽の方が勝るからである。
技術的な進化の範疇に、さして興味は無いと書いたが、それは職業的な訓練や他の動機などいっさい関係ないという意味だが、デジタルという名目の進化に依っていれば、自ずとそのあたり多少鈍感にもなるというものだ。とはいえ、全く進化を経ないということはありえない。描けば描くほど、だれもが多少はこなれるし、ある種のテクニックを身に纏うことになる。そこから本格的に表現者としてのただならぬ試練が迫ってくる。要するにどこまでを自分の望む絵だと認めうるか、である。初期のころなら、それこそ、自動書記に近いひらめきや衝動に導かれて描いていたといえるのだが、今はそれなりに、冷静に絵というものに対峙しているという思いがある。とはいえ、どこまでが自分の意図なのか、思いなのか、相変わらず曖昧に突き進む触媒としての絵描きの域から、卒業したわけではない。よって、絵を構築する過程は、偶然の所作の積み上げによって築かれた結果にほかならないという認識のままである。絵がとりあえず出来上がるまで、自分が何を描き、何を目指しているのか、いまだによくわかってはいない。それが絵を描く動機の最初に設定されているかぎり、少なくとも、この分野において、絵画、ドローイングに対する興味が尽きると云うことなどありえないのだ。おそらく、肉体が続く限り、この作業は半永久的に続くだろう。
あえて、その過程の一部を告白するなら、たとえばデジタル風景画《LAND-EX-APE》を元に手を加えるという事態によって、絵のさらなる進化(変化)を見届けるといった形式をとっている。つまり、これら《ROUGH KITSCH》群は《LAND-EX-APE》と称された絵の延長上にありながら、そのremixアートとさえ呼ぶことも可能だ。音楽になぞらえるなら、「LAND-EX-APE」がインストゥルメンタルな曲だとするなら、その上に歌が入って完成させたのが《ROUGH KITSCH》であるといえるだろう。
いずれにせよ、すべてのコンセプト、その中に流れる絵の神髄は、我が魂のそれであり、他の表現となんら変わらない衝動を抱えた、愛すべき生き物たちだ。我が手を借りなければ、けして現前に表出することのなかった造形や色彩がそこにはある。それをなんと呼ぼうが自由ではあるが、パタフィジックにおける肩書畜生のサガとしては、ここではとりあえずの絵画に対する思いを込め、その名の通り、ラフスケッチの延長上にありながらも、どこかキッチュな造詣に寄り添いながら、そうした実情は、デジタルによって魔界へと手招きされるかのような、まさに異空間への扉であり、その空気感を壊すことなく、《ROUGH KITSCH》と名付けたまでである。言葉の代わりに、色彩と情緒、そして限りなく手描きに近いデジタル処理によって生まれた造形が、そこに嬉々として現れる歓びを伝えたいだけなのだ。























