クリーン・ボックス

クリーン・ボックス

透明な声帯によって読み上げられる言葉のレディメイド

 われわれは、ついものごとを難しく考えてしまう傾向がある。いわば文明の病である。それはなぜゆえか、とその誘惑にこちらも調子に乗って、あえてミイラとりににでもなってしまおうというわけである。それが言葉へのあらたなる対峙法というわけだ。言葉の意味や、その趣に、人はついつい騙され、洗脳された欲望を掻き立てられてしまうかもしれない。所詮、世界は言葉で成り立っている。そのことに異を唱えるつもりなどない。煽情だとみなされ、相手にされないかもしれないが、そんなことは知る由もない。これは別段、怒りでも、不満でも、抵抗でもない。あくまでも、言葉の戯れだ。遊びである。ナンセンスであることに、最初から特化しているのだから、あえてそこに文句を挟まれる隙もない。とはいえ、さも意味ありげに、あるいは、なにかしら意図をかぎとり、意味付けすることを否定するわけでもない。解釈は自由に開かれるべきである。そうした言葉自体がもつ矛盾が魅力を生み、その快楽に溺れて、パロールすることを可能にするのが、既成の言葉に対するわがレディメイトの概念である。とはいえ、概念であっても、なにも生み出さない。なにももたらさない。あくまでも、言葉は言葉に過ぎない。

 とはいえ、ここに、ある種の表現の意匠をまとっているのだとしたら、それは、パタフィジックの定義に基づき、ナンセンスと不条理をもって絶対の真理、境地を開拓する精神によって駆り出される言葉の自在性、運動を支持することで生まれる詩学をひもとかねばならない。ここにデュシャンの思想を持ち込んで、「言葉のアンフラマス」に近接するのだと、そこは真面目にいっておく。ここでの狂気と邪気、あるいは痴気と稚気は同義語であり、それゆえに、はなから存在しない文脈を逸脱することはもはや何人も止めることはできないだろう。よってこれは、私的で詩的なセルフSNSの発露、すなわち純然たるつぶやきなのだ。そこに伝播力も影響力もクソもないのだ。まさに空想科学の博覧会なのである。

 さて、目の前に透明な箱があるとしよう。その箱をクリーンボックスと名付けてみる。その中に手をつっこんで、一枚の紙切れをつかみ引っ張り上げる。そこに書かれた言葉がレディメイトなるものを即物的に記載した文(言葉)を手にすることになるだろう。とはいえ、それが何もなさない限りにおいて、純粋なレディメイトは安心して言葉を書き記すことができる。意味を忌み嫌うレディメイトの純粋性を確保するための装置。それがクリーンボックスなのだ。

小ガラスが大柄ガラスとなる過程にメモされた言葉の遍歴とせよ

  • レディメイトはいつどこで気安く“レディメイツ”に飄逸しうるかわからない。そのシュールさにおいては、むしろ超堅実的すぎるという不満さえ抱かれかねないいわくつきの、われわれのもうひとつの現実である。
  • ただならぬレディメイトの気配には、少しばかりだっこされたがる駄々っ子の感情操作に付随させられるようなダダ的な趣きを感じるだろう。
  • レディメイトという概念が、すでにレディメイトという語句をさりげなく内包していることに驚く。
  • レディメイトには、唐突に淑女の寄宿所を訪問するようなところがある。
  • レディメイトは真摯にジェントル面を装うよう訓練されている。
  • 絶対的服従による笑顔に、常にレディメイトは意志の複銃をもって迎え撃つ用意があることをお忘れなく。
  • 寂静のレディメイトは、常に情弱者の面目躍如となりうるかもしれない品格を有している。
  • 極彩色の肌をもつレディ・メイトは、すでに国際色をもつ淑女として才色兼備の風情と同義語の輝きを放つ。
  • 憐れな我の似姿は、レディ・メイトの亜・我をもって崇められるだろう。
  • 揉め事をギャグとして逆利用する感覚は、滅入る→もめる→メモするorメモリー化する→メール(変め得る)というモーメントを瞬時にレディ・メイトに通じ忘却、ならびに焼却する。
  • 罪人の告白が語句吐的と誤認識される場合、言葉に群がるレディメイトは、軽佻薄→前後不覚→傾聴告白→言語俯角として懺悔を繰り返すことである種のカタルシスを語るようなものである。
  • くしゃみを苦趣味に走らせる傾向がある、という表情に読みとられる時のレディメイトの表情は、超常現象的に難渋に重ねてでも、所詮流行病(はやりやまい)をこじらせているとしかみなされない。
  • 語句の乱用における極悪的レディメイトは、極たまに獄刑を語句系にて処す場合の模範囚の所作のようなものだといえよう。
  • 磔刑のオタク系レディメイトが集って、ロザリオのカーニバル化を掲げたとしてもたまげてはいけない。
  • むしゃくしゃすることと無茶苦茶にすることを履き違えるレディメイトには、武者修業にても出すべきである。
  • 駄洒落にすらどもって、駄々洒落となる感覚のレディメイトは、ただの洒落に戻ってダダ洒落となるためのじゃれあい(洒落愛)を、邪恋愛のごときものとして認識する喫煙のようなものである。
  • 人気沸騰中のレディメイトは、にやけ度数をカウントする点以外での、フットワークはやけに億劫である。
  • 遊びが最高潮に達するハンドルに気をとられるレディメイトなら、自己→事故→時効→次項へと漂流することを自覚していないはずがない。
  • メモリを脳にでなく目(網膜的)に記憶させるような、脳をひとつの森であると考えられうる感性があれば、レディメイトを震撼させることができる。
  • 因果応報の餓死を敢行する印画紙上のレディメイトの我は、今や合法とみなされる。
  • 解像度の高いレディメイト的景観は、瞳孔の網膜的動向の改造を迫られる。
  • 眼球が言及するレディメイトの対応は、太陽光線に対する徹底抗戦からの撤退に似ている。
  • 瞳における交際中のレディメイトは二次的な虹彩を渡る愛のリスである。
  • 菜食レディメイトが、彩色にうるさいという噂を、あえて本気で肯定したいと思うことがあるらしい。
  • 観光写真の基本的レディメイトなら、目と指の共犯的感光例を念頭に瞬間にシャッターを切るのではなく、「押しちゃった」となるのが慣行である。
  • 円上の視覚に入る死角は、レディメイトによっていつも炎上する。
  • 炎上する四角のゼッケンは、切片との接点によって刺客のレディメイトとなる公算が極めて高い。
  • 法規において自らを窮状に陥れる憲法9条を解釈するとき、レディメイトは煽情的に苦情を蜂起しようとして嘔吐する。
  • 信仰によりて愛得ぬ自慰(NG)の進行を食い止めるレディメイトは、添付される欲望の緊張から、天賦テンションの似た物同士によって絶えず誘惑にさらされる。
  • 語と語との差異の一角を、ことごとく崩された感覚のレディメイトなら、イオネスコの「犀」的才覚を発揮することはこの際お手の物である。
  • 猛獣使いは死のレディメイトに盲従することを厭わない。
  • 平素、レディメイトの風水への関心は、過度を嫌う臍曲がりによって並走する気まぐれである。
  • レディメイトには凍てついた関係をいちゃついた関係に復縁する力が備わっている。
  • コインの投入時、落下音(チャリン)によって、レディメイトの車輪を駆動させられても誰も文句は言えない。
  • 大伽藍は、空間のレディメイトをがらんとせる点に特に留意し設計がなされるべきである。
  • レディメイトが監視する生産性の向上は、恒常的に感情の凄惨へと貶めない日々の看守の上官である。
  • 情緒形成への助長はレディメイトを徐々に叙情化しがちである。
  • むずむず、うずうず、ぐずぐずの感覚の差異は、狂気的表記のレディメイトの渦状の縮図といっても過言ではない。
  • 眩暈とは、目線の螺旋的舞いによるレディメイトの迷いにすぎない。
  • 狭義の裁断を崇めうる感覚は、行儀を祭壇化しうる競技であるという前提において、唐突に間隔を開けながらレディメイトにバトンをわたすリレー形式が相応しい。
  • 辛気臭い神秘主義者の新規加入者への応対は、レディメイトのいい加減さを謗る差異の下限が、いい加減である限り、過言すぎる罵倒への寡言が程よい加減となる。
  • 忘却はレディメイトの知的胃酸に消化される遺産の浄罪のようなものである。
  • 科目なサイエンティストのレディメイトは、サイレンスを再演するときには激情型のサディストになる。
  • 火を消す犀と消さない犀の差異からも、被災地の一角を定義するレディメイトは、災害の利の細分化から隔離する。
  • 淫靡さを陰部からインヴァイトするレディメイトは、不祥退場の手招きするエロティシズムの招待状を即刻送ってよこすべきである。
  • 原初はレディメイトにおいて薄幸の源氏名を名乗らねばならないのが蛍の風情であった。

  • 避暑地の冷源が清涼飲料水にまさる喉越しを非処置とするレディメイトの霊言は、どこかのどかに見える。
  • 幸運が期によって左右されるレディメイトは、果実と耕運機との結合的産物である公算が大である。
  • 聖なるものが絶えず何ものかに隷属するのは、霊族としての憚るレディメイトのカルト的証明である。
  • 網膜上におけるレディメイトの盲目性は、絶えず視線で交わされる脳髄の夜明けを遮断する。
  • 重力をもたない手のひらは、浮遊状態のレディメイトによって無抽選で宇宙船に搭乗できる資格を有する。
  • 縁起担ぎですら演技を要求されるのは、もはや信仰の静止である。練習を重みかさね物事が収斂するまでの感覚と、その語の用法におけるレディメイトの躍動は絶えず酷似している。
  • 食虫レディメイトが、ショック状態の昆虫を解放するか介抱するかのリアクションは期待値を含まない。
  • 無意識に鼻を掻く手と、手が意識的に花を描くという感覚の差異は、かくのごとし、という一語によってレディメイトを一瞬にしてかき消す美をなす。
  • 抽象的に苦笑される具象画と愚直を誘う抽象画の美の接点は、画か画家か、という論争を生むレディメイトの中傷をスキャンするが、これまで一度もスキャンダルになった試しがない。
  • メシアを像としてシェアすることにおいての、目、視野への分割は、メディア救済の急性的レディ・メイトの救世主として崇拝する傾向からは逃れられない。
  • 複数のイブは禁断のレディメイトにおいて単数のマダムである。
  • 助骨を抜かれたアダムが訴訟をおこしかねないとき、神は露骨なレディメイトを、犬にでもくれてやれと投げ出すことがある。
  • 信仰が原罪進行形であるときのレディメイトは、天界を振興する急展開にまで及ぶ架け橋となる。
  • 絶対にダメというメッセージで釣る政治的なイメージの掃き溜めであるレディメイトが、そのダメージを一掃する期待を一身に背負うときにあがる鶴の一声を信じても良い。
  • 胸囲の実りの低年齢化は、定年夏の果実の凶作ほどの驚異において、レディメイトの脅威にさえ感ずるのが乙女の祈りである。
  • 極楽気分の落ち度をして地獄落ちになるような趣向にさえも、レディメイトはあえて落ち着き払って臨む。
  • 某個のレディメイトは、あの放物線を描く弧を彷彿とさせ、二次的に輝くレインボウである。
  • エデンの園における原罪は、現在では過去のイコンとしてのみその名をどめているという根強い仮説が支持される背景は、聖典を解読してなお受けいれらずにレディメイトによって排除され続ける所以である。
  • 風紀上の指針を一掃するためのレディメイトは、地上から痴情のもつれ人を移送するための一隻のノアの方舟として、一層強化を図るべきである。
  • 無花果の葉が身体の位置と植物の関係において、総性器を覆うときにレディメイトの創世紀が始まる。
  • 貿易摩擦を引き起こすレディメイトが、生産性のある某益の会社をも抹殺し、その被害者意識は、該当者なしの外車ディーラーの販売戦術にも匹敵するという噂がちまたで膾炙している。
  • 頭皮をかきむしるような思考を練るレディメイトは、屁をひるための昼寝のようなものである。
  • 強敵を標的にするレディメイトには、いつも量的に「豹的運動」が求められる
  • 清掃と掃除との相似において、正装するレディメイトの自負を極力剥ぎ取る掃除夫は畏怖におののく。
  • 死者はレディメイトの細部を四捨五入以下切り捨てたとき現世に使者を派遣する
  • 永久とは?という問いに、世がはてる世界だったとは夢にも思わないレディメイトは剥那を嘆く。
  • バスの車掌は、駆け込み乗車をレディメイトとして拾参できるか?
  • 失楽園はレディメイトの室楽園において封印されることをお勧めする。
  • 圧巻なまでのレディメイトなら、握手によって若干の発汗さえ搾取されることを嫌う
  • 下駄箱の隅に置き去りにされた靴を磨くレディメイトは使用済みの墨がよい。
  • 懐胎中のレディメイトの解体後、賛同を通過した胎児は初めて生死に対峙する
  • 足の裏をスキャンするサンダルの傾きは、レディメイトなスキャンダルを引き起こす原因となる。
  • 子猫の死をこの子の死と思い入れる過剰なレディメイトの良心は、親権をめぐっての親馬鹿であるか否か?について、真剣なまでに審議中であることが多い。
  • 見当違いのレディメイトの検討は、挙闘するには値しない。
  • 接写にて忍術を発揮するカメラマニアは、ニヤニヤしたところでレディメイトなシャッターチャンスを逃すことはない。
  • 善行の全行程の前奏である禅僧のレディメイトをひとまず前者と定義するとき、前衛的に非前者扱いとなる後者は偽善者的な巧者とみなされる。
  • 再婚が離婚からのRe-婚姻であるレディ・メイトにおいて、前妻との関係においては、体裁的オードブル(前菜)としての御託をならべるのが関の山であり、後妻となる細君とそのたかだか五歳の連れ児は、きわめて王道的にもブルーな嘱託のような関係性を築くだけである。
  • 過刊誌の記事を鵜呑みにするレディメイトは、ここぞとばかりに瞬間死扱いに接客される。
  • 天衣無縫の不法者の進入によって訃報を無化されるレディメイトは、通常、天に召された場合よりも、その焦点距離が曖昧になる。つまり、改訂版開廷によって死者が使者に試写されるという示唆(〜らしさ)からなる天の加護に墓場まで揺らされることになるのである。
  • 吹聴されるがままに事物を単なる風潮だと鵜呑みにするレディメイトは、湯呑とYOU KNOW ME?を聞き違える程度の風通しにしかならない。
  • 労働の美徳を慇懃に回顧するしかできないレディメイトは、ずばり泥濘に足を取られる。
  • 新婦と神父の奉仕についてもっともシンプルに考えるレディ・メイトは
    ーー彼女はおかみさんとして主に仕える、彼は主なる神さまに仕えるーーというごく凡庸なサンプルでもって、胞子のごとく軽やかに新風を吹かす。
  • サンプルとして散布された種子を、仮に趣旨として受けとるレディメイトは、主の意思に基づき、至急要する他目的活動に従事する。この場合、受胎された子宮より、懐胎しない母体を舞台として認識する主旨において、助産婦たちの激情化は結果的に十字架を背負う。
  • 人間に宿る神性は、それまでの経験値に関わらず、敬虔さの差異で判断されるとみなすレディ・メイトは、虚偽の申請を協議する際、委細を拒否するその心性において、敬虔にまさる永遠と相通づることになる神父のようなものである。よって、陳腐を招き入れる神父は、その狭義の神聖さからは一切肯定されず、教会は単なる祈りのポーズにおける境界における“偽坊主”として、申請を受理してしまうだけである。
  • 真摯的な浮浪者への施しは、時代の新氏(Monsieur Nouveau)の不労所得である。一方、紳士的な浮浪者の真摯さとは、事態の非新氏(Non Monsieur Nouveau)のフローを踏襲する、つまり胸のうち(胸底)のレディ・メイト界隈をうろつくようなものである。
  • 詩的に天使を演じうるときのレディメイトは、ペテン師的天使の死をも指摘するアンガージュを抱える。
  • 校則による驚愕的拘束は、レディメイトに紅潮する校長による生徒蔑視のレッドカードである。
  • 罪を積み重ねることと罪を摘み取ることの分岐点から逃避行する彼岸のレディメイトは、闘・非行を避けては通れない。
  • 自己が在りうるところのこころのありようが、真の郷土をもつ感覚にレディメイトは強度意識をもつ。
  • 懐胎の症状を否認するのはレディメイトの非処女であり、避妊の清浄を解体するものがレディメイトの処女である。
  • 鋼鉄の処女は更迭の申請によって新生のレディメイトを脱衣させようとする。
  • 回数にかかわらず、無賃乗車を発見されたときの乗客の後悔が、必ずや盛者のディメイトを発券してくれることを忘れてはいけない。
  • 失われた空洞部を求めて、たとえばプルーストのマドレーヌ体験的記憶が浮かび上がってくるドーナツでのアフタヌーンティは、レディ・メイトらしい3時の休憩であるとして讃辞されるのは優雅である。
  • 組織のアナボリックは勤続疲労のヒーローである。反対に組織のカタボリックは型にはめる勤続の肩叩きである。
  • スポーツ選手のR指定であるところの動き1000種には、枚挙にはいとまがないにせよ、搾取される謙虚さよりもレディ・メイトの潔白を証明するに価する。
  • 男性の視姦が複数の私感に基づき諸悪の根源とみなされるとき、正規の欲望の弛緩と同様、疾患的な弾性機能を催させるレディメイトの理性から痴漢行為を抑制することができる。
  • 空腹時による病的なまでの秒刻みの腹部の反復音は、時計の秒針が、Sick→Sec→Sick→Sec→Sick→Sec(秒感覚の満腹感)であるような錯覚とともに、レディメイト間を疾駆してやまない。
  • 何かを描く手が突如脱線したとき、レディメイトはほとんど猫状態で待機することをお忘れなく。
  • 仮の事情に駆り出される唐突さにガタガタ不平をいう程度の狩猟のレディメイトには、八方ふさがりの状況下においてさえ、発砲は許されず、即強制終了の判断を下さざるをえない。
  • 静謐な性質の謙遜の欠損によって、レディメイトはUnknownな安定さに欠ける。
  • 虚像は鏡像において誕生の巨象として反射的にレディメイトを映し出す。
    The Elegant in Elephant makes error in mirror through ready-mate.
  • 栄えある氏の末裔は、有事に際し、凋落を遂げるようなレディメイトによって、映えある蛆としての超飛躍的符牒をつかって蝶の羽化にも匹敵する繁栄に加担することがある。
  • 味覚の真髄を磨ぐ術を、闇雲にまずいと判断することの舌禍には、レディメイトは容赦無くアジテーションとみなす。
  • 三段跳びの選手が散歩時において見せる最初の三歩には、レディメイト流の跳梁がみられる。
  • 絶対性の意志は、レディメイト意識から絶・体側へと石を投下する。
  • 値上げを詩的に便乗するようなレディメイトなら、透明性を期す上では、瓶状に「御名答」と記された銘柄の価値と等価である。
  • 雨下での羽化が不可であることは、蝉の絶対的負荷として、常に生命の危機にさらされるレディメイトによって、うかうかしていられない不確実性の時代を反映する象徴とみなされる。大小にかかわらず、孵化をさまたげる代償を付加価値とみなす、勝ち組社会の継承に対する比較的軽症の部類のsemi警鐘である。
  • 修正を加えて完結とすることが、簡潔さに反しひとつの過失に招く、という観点を懸念して、思わずペンを咥え固まってしまうレディメイト固有の問題は、
     ①賢明すぎるところの自虐性からの加筆なのか?
     ②懸命であるがゆえの諧謔さから過筆なのか?
    という2択からのコレクトコール的な習性癖を疑っている。
  • 言葉尻に触れるられるごとの性的いやがらせは、彼女の所持する穴をアナではなく、ケツと呼ぶレディメイトにおいては、不浄裏の分析の墓穴に帰結してはならない。