ファッションに興味を持ち始めたのは、十代の頃だったが、以来、いつの間にやら、自分でデザインした洋服を身に纏ってみたい、などという夢のようなことを漠然と考えるに至ったわけだが、どうあがいても、職業としての服飾デザイナーの道には進めず、土台どうあがいてもそうした華やかな身分にはなれっこれないことは端からわかっていた。当然それは職人域であり、アングルのバイオリンよろしく、余儀感覚では、おいそれとはなれはしないのは明らかである。アートのように、感性だけではうまくいくものでもないことは十分理解した上で、ただ時代の波に乗じてアパレルを扱うという夢ぐらいなら、そう難しくもなく叶えられることに甘んじて、ファッションを楽しむという視点だけにおいて、ロピュデザインによるファションアイテムであり、そこに特化してデザインされた、いわゆるテキスタイルは、他の創造物と同じ波動、プロセスによって生み出された「模様」をパターン化し、堂々テキスタイルと呼びうるジャンルを創作したアート領域の作品である。それをここでは「ステキスタイル」と呼んだのである。
ステキスタイルとは、文字通り、ステキなスタイルを意図している。どこにもない、この世でたった一つのデザインという意味では、ステキスタイルもロピュ的な波動に満ちてはいるが、用途としては、はっきり実用的な見地で、洋服というアイテムに特化してのものということだけは明確に打ち出されている。よってこれはアートではないといっておかねばならない。アートである前に、洋服のデザインに使用され、衣服上でデザインされたものが、各々、肉体にフィットすることを前提とした上で、一点ものの絵や他の斬新なスタイルのデザインと別に、ミニマルかつ、スタイリッシュに衣服として映えることに狙いを定めてデザインを捉えなおしたものである。とはいえ、元を正せば、積み上げたアールロピュット作品からの抜粋であり、その一部を素材として切り取ったものに過ぎない。よって、最初からテキスタイルを前提として生み出されたデザインでは無い。あくまでも、偶然によって、切り出された後付けのパターンものであり、それが最終的にアパレルデザインとして成立するかは、いざ洋服としてレイアウトし、それを実際に纏ってみなければ、その真の価値は見出せないかもしれない。その意味では、「ステキスタイル」は「フテキデザイン」と言い換えられても文句は言えないのである。
いずれにせよ、ロピュデザインによるファッションアイテムは、世界中、どこにも無い、いまだかつて誰もみたことのないデザインをファッション化し、身に纏うという、大胆かつ純粋なコンセプトのもとに、未知の人間たちの関心と、その肉体を求めて行脚し、流通することを夢見ているのである。