ジェームズ・アンソールという画家

James Ensor 『Masques Regardant Une Tortue』1894
James Ensor 『Masques Regardant Une Tortue』1894

社会に反る、仮面を纏った元祖パンク画家アンソールを讃えよう

画家と音楽家。
この二足のわらじを履くアーティストは
今日ではさして珍しいことではない。
ジョニ・ミッチェルをはじめ
ボブ・ディラン、ボウイ、マイルス・デイヴィスetc
音楽同様玄人はだしのアーティストばかりだ。
パンクなロッカーにも絵が得意なミュージシャンも多い
ああ見えてジョン・ライドンも絵が上手だし、
元クラッシュのポール・シムノンは画家として個展を開くほどだ。
ジョン・レノンだってデヴィッド・バーンだってイーノだって、
もとは美術学校出身である。

表現において、本業も余儀もないのではあるが
フランス語で「アングルのバイオリン」のアングルとは、
フランスの画家ドミニク・アングルのことで
余技という意味に解釈される。

仮面や骸骨をモチーフにした画風で知られるのは
ベルギーの海沿いの町オーステンデ(オステンド)出身のジェームズ・アンソール。
表現主義やシュルレアリスムに影響を及ぼした画家といわれ
祖国ベルギーではかつてお札になったぐらいだから
それなりの地位にあったのだろう。
このアンソールもまた即興のオルガン奏者という触れ込みで
画業とは別に、後半はそちらの活躍が増えたという。
アンソール自身、熱烈なワグネリアンで
音楽への造詣も深かったというから
その祝祭的な画風のモティーフには
少なからず、音楽への感受性の下地も
多分に影響していたのかもしれない。

当初、その早すぎた才能を世間に認知されず、
画壇の異端児扱いを受けており
そのいらだちをひたすたキャンバスに投影した
いわゆるアナーキーな作品も多々あって面白いのだが
ジェームズ・アンソールといえば何と言っても仮面だ。

実家で両親がお土産屋を営んでいたこともあって
カーニバル用に使う仮面をとり扱っていたが
ジェームス少年にとっての仮面への思いとは少しずれがあった。
要するに、今日でいうところの商業主義への懐疑、抵抗。
仮面本来の文化的側面への回帰から逸脱してゆくことに
幻滅を覚えたのかもしれない。
また、政治および社会への不信から
アンソールは教会および軍隊といった権力、
あるいは無知なブルジョアジー層を蔑視していたがゆえに
その思いがキャンバスに表出していたのかもしれない。

元々アカデミズムとは無縁で、実家の屋根裏をアトリエとして閉じこもり
死の芳香漂う仮面や骸骨、人間の醜い部分にスポットを当てながら
ひたすら不気味でスキャンダラスな絵を描き続けた。
そんなアンソールの絵に、空想的かつ悪魔的な雰囲気が宿るのは
同じ土壌の先人ボスやブリューゲルの影響からだろう。
しかしながら、そうしたアンソールの才能は徐々に開花する。
貴族称号、レジオン・ドヌール勲章といった名声を博し、
死後にはベルギー紙幣に肖像が使用される程の巨匠として、
20世紀美術の先駆者としての扱いを受けている。

そんなアンソールの美術史的評価は
個人的にはさして関心がないのだが、
やはりその絵のもつ魔力、魅力には抗えない。
不気味で恐ろしい一面はあるものの、
どこかユーモアのようなもの、風刺めいたいたずら心を感じさせる。
例えば『 Masques Regardant Une Tortue』という絵が
個人的にとても気に入っているのだが
タイトル通り仮面をつけた男たちが亀を見つめており
魔術的な意味合いなど何もなく
素朴にユーモラスな空気感を伝えている。

で、特に真ん中二人の人物に何やら見覚えがある気がして
それがまたこの絵に惹きつけられる理由なのだが
一人は、スーパースター、マイケル・ジャクソン
もう一人は隣国のお騒がせ人物のキム書記長。
もっとも、アンソールにそんな予知能力などあるわけがないし、
こちら見る側の勝手な思い込みで、
全然想起できない人もいるだろう。
あくまで個人的な見解なのだが、絵の本質からは離れ
一人笑みを禁じ得ずひとりごちているわけである。
絵画にはそうした楽しみ方もあるのだ。

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